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カザフスタン東部の町アヤゴズにある子ども特別社会福祉センターのベッドに横たわるルスタム・ジャナバエフ君(6歳)。生まれつき水頭症を患っている。(PHOTOGRAPH BY PHIL HATCHER-MOORE)
カザフスタンの片隅に広がる、荒涼とした風景。核爆発でできた人工の湖が、かつては平坦だった土地にあばたのように散らばり、空っぽになった建造物がところどころに見える。人が住めるようには見えないが、この土地には今も、30年近く前に終了した核実験の亡霊がとりつき、人々を苦しめている。(参考記事:「原発事故の現場を訪ねる チェルノブイリ」)
通称ポリゴンと呼ばれるこの場所では、冷戦中、世界中の核実験の4分の1近くが行われた。ここが実験場に選ばれた理由は人が住んでいないからというものだったが、実際には、周辺には小さな農村が点在していた。核実験が行われていた間、他の地域へ移動させられた住民もいたものの、大半はここで暮らしを続けていた。実験の傷跡は今もまだ生々しく残る。
写真家のフィル・ハッチャー=ムーア氏は、この地で2カ月にわたって撮影を行い、「人間の愚行が生み出した残酷な副産物」に衝撃を受けたという。
「核の亡霊」と名付けられた彼のシリーズ写真は、荒廃した景色と、今も後遺症に苦しむ村人のポートレートを組み合わせたものだ。(参考記事:「銀板写真で「核の記憶」を追う 写真家新井卓」)
被害にまつわる数字の大きさには驚かされる――この地域では今も約10万人が放射線の影響を受けており、これは5世代にわたって受け継がれる可能性があるという。ムーア氏は、人々の痛ましい姿を間近にとらえた写真を通じて、こうした抽象的な数字に実感をもたせることを試みている。
「核汚染は必ずしも目に見える形をとりません。数字を語ることはできますが、この物語の本質を体現する個人に焦点をあてたほうが、心に訴えるものになると思ったのです」
ムーア氏は、カメラを手にする前に、被写体となる人たち全員の話を聞き、彼らの体験の多くが、誤った情報と秘密主義によってもたらされたものであることを知った。
「1950年代、ある人物がテントを持たされ、飼っている羊の群れと一緒に丘の上で5日間過ごすように言われました。彼は何が起こるかを確かめる実験台にされたのです。住民たちは一度も事情を聞かされず、当然、自分たちがどんな危険にさらされているのかも知りませんでした」
人間の物語を中心にすえる一方で、ムーア氏は、今も核実験の影響を調査する研究所の写真も撮影している。こうした研究所の写真と、放射線によって体を蝕まれた人々のポートレートが並んでいるのは、見る者を落ち着かない気持ちにさせる。(参考記事:「「ナガサキ」本を米国で出版、著者に聞いた」)
ムーア氏は言う。「わたしはこのふたつの主題をひとつに結びつけたかったのです。かつて人間が研究者によってどのように利用されたのかということと、その影響がどのように日々の生活に忍び込んでいるのかということです――これらを一緒に並べるとどんな風に見えるのか、それが意味することは何なのかを探りたいと考えています」
ムーア氏の被写体となった人たちのなかには、見た目にわかる問題だけでなく、がんや血液の病気、PTSDなど、目に見えにくい健康問題を抱える人も少なくない。そして放射線のもっともやっかいな点は、問題が目に見えないところで、ひっそりと進行することだ。「核開発は長い間、さほど活発には行われてきませんでしたが、今ふたたび現実的な問題となっています。しかし、核兵器の復活にともなう代償が話題にのぼることはありません。わたしが写真に写した人たちは、核開発がもたらした負の遺産であり、その証拠なのです」(参考記事:「弱者に寄り添う「勇敢な女性ジャーナリスト」 心に響く受賞作品18点」)