Photo Stories撮影ストーリー

インドネシア 長い編成のローカル列車が山間から水田が広がる平野へと進んでいく。 (Photograph by Koji Yoneya)
米屋こうじは少年の頃からローカル列車の旅を続けてきた。大人になっても鉄旅の魅力から卒業できず、写真家として世界各地の鉄道に揺られながら、人々との出会いを記録する。(この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2017年10月号「写真は語る」に掲載されたものです)
23年前から、アジア各国に出かけては列車に乗る旅を繰り返してきた。アジアの鉄道で私が好んで乗車したのは、主に地元の住民たちが利用するような「ローカル列車」だ。実用本位のアジアのローカル列車は質実剛健、たいがい古びた客車が使用されている。車内には使い込まれた座席が向かい合わせに並び、窓は開いたままで冷房装置などない。そこへ大勢の人々が乗り込み、通路まで人で溢れた。列車の速度は遅く、目的地までの道のりを思えば気が遠くなった。ときに苦行のような旅を体験しながらも、アジアのローカル列車に惹かれ続けてきた。
きっかけは中学・高校生の頃まで遡る。まだ学生だった1980年代の半ばまで、日本にも同じ雰囲気のローカル列車が存在していて、私はしばしばローカル列車を乗り継ぐ旅に出た。向かい合わせのボックス席に座っていると、乗り合わせた大人たちに「どこから来たの?」と話しかけられた。少年だった私に対して、周囲の大人たちは寛大に接してくれ、お菓子や果物、「寒いから」とマフラーをもらったこともある。
90年代に入ると、日本のローカル列車にエアコンが装備され、窓が開かなくなった。また座席がボックス席から、横長のロングシートに変わり、見知らぬ人と話す機会が減った。同じ頃、駅の無人化や列車のワンマン化も進んだ。システム化されると同時に、鉄道の現場で運行に直接関わる鉄道員の姿を目にする機会も減った。
そんな折、友人に誘われてタイへ赴きローカル列車に乗った。そこで目にしたのは、学生時代に列車で旅した頃と同じような情景だった。ある夜、白熱灯のともる古びた客車に乗って夜風に吹かれていると、タイムスリップしたような感覚に包まれた。また、同じボックス席に座った地元の人々が笑顔で接してくれたこともあり、鉄道の情景のみならず、人々にも懐かしさを感じて胸が熱くなった。これこそが、写真家として追い求めるテーマだと思った。
その後、旅先はタイからアジア各国へ広がっていった。ベトナムのフエでは、乗り合わせた若者にビールを振る舞われ、「ヨー!」という乾杯の掛け声も教わった。中国の長距離列車では、小さな男の子がひまわりの種を一粒、差し出してくれた。南インドのニルギリ山岳鉄道では、線路端で出会った保線作業員に誘われて、一緒にチャパティ(薄焼きのパン)とカレーの食卓を囲んだ。食後は蒸気機関車のための給水塔の水を使って食器を洗った。
アジアの鉄道で、人々が旅人の私に与えてくれたお裾分けは、親和的な気持ちの表れにほかならない。そのとき、人の内面から発せられたものは、平易に言えば「やさしさ」なのだと思う。自らも気づかないうちに追い求めてきたのは、人のやさしさだったようだ。
ナショナル ジオグラフィック日本版2017年10月号
米屋こうじ氏が撮影したアジア各地の鉄道の写真を「写真は語る」に収録。その他、ロシア極北の遊牧民やエコ都市を目指すドバイ等を掲載しています。