Photo Stories撮影ストーリー

南部タミルナドゥ州の染色工場。熱した化学染料に綿糸をつけ込み、全身の力を込めて絞り上げる。腕の力が頼りの「男の仕事場」だ。(Photograph by Masashi Mitsui)
過酷な環境のなか、黙々と仕事をこなす男たち。近代化が進むインドの今を、日経ナショナル ジオグラフィック写真賞2016ピープル部門最優秀賞の三井昌志氏が記録した。(この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2017年8月号「写真は語る」に掲載されたものです)
10年ほど前から、インドで働く人々を撮り続けている。バイクを借りて各地を走り回り、その土地独特の働き方を記録する。そのほとんどは特別な技術を必要とする伝統工芸ではなく、誰からも注目されていない単純作業や肉体労働だ。
南部のタミルナドゥ州では染色工場を訪れた。薄暗い作業場に一歩足を踏み入れると、化学染料の強烈なにおいが鼻をついた。煮立てた染料から立ち昇る蒸気で、蒸し風呂のような暑さだ。立っているだけでも汗が滴り落ちてくる。そんな過酷な環境のなか、男たちは黙々と働いていた。彼らの仕事は、化学染料につけ込んだ綿糸の束を全身の力を込めて絞ること。毎日同じ作業を繰り返すことで鍛えられた体は、アスリートのように引き締まっていた。「この町の働き者は、みんな手が汚れているのさ」。ベテランの職人が化学染料で黒く染まった指先を誇らしげに見せてくれた。
男たちが染めた糸は、すぐ近くにある織物工場に運ばれて、色鮮やかな布に加工される。織られた布はルンギー(男性用の腰巻き)としてインド国内で販売されるだけでなく、外国にも輸出されている。主な輸出先はイランやイラクなどの中東諸国、それにエチオピアやウガンダなどのアフリカ諸国だという。昔ながらの手仕事に頼った工場であっても、グローバル化と無縁ではないようだ。「アフリカは日差しが強いから、人々の色彩感覚や柄の好みがインド人と似ているんだ」と、買い付けに来ていた仲買業者は言った。
今、インド社会は大きく変わりつつある。もともと血縁や村落共同体の力が強いこの国では、多くの人が「親の職業を子が受け継ぐ」という伝統に従って暮らしを立ててきた。生まれたときから将来就く仕事が決まっているのだ。しかし、近年の急速な経済発展と技術の進歩に伴って、そうした伝統産業の在り方も様変わりしている。かつて必要とされていた仕事が不要なものとなり、まったく新しい仕事が次々と生み出されているのだ。実際、僕が撮影した染色工場の一つは、翌年に再び訪れたときには操業をやめ、従業員は全員解雇されて、誰もいない廃虚になっていた。
何世代にもわたって受け継がれてきた仕事が、一つ、また一つとその役目を終えていく。この流れは誰にも止めることができないし、今後もさらに加速していくことだろう。だからこそ、僕は「働く人々」を撮っている。そう遠くない将来、こうした仕事があったことさえ忘れ去られてしまう前に、人々が流した汗のきらめきや真剣なまなざし、無駄のない肉体美を、写真という形で記録しておきたいと思っている。
写真家、三井昌志氏の紹介ページはこちら。
ナショナル ジオグラフィック日本版2017年8月号
三井昌志氏が撮影したインドの働く男たちの写真を「写真は語る」に収録。その他、民間の月面探査レースや心霊治療などの特集を掲載しています。