Photo Stories撮影ストーリー

米国の水爆実験で被爆した第五福竜丸。2010年頃、核の歴史に興味を抱いてこの船に出合ったことが以後の撮影につながった。ダゲレオタイプ(銀板写真)による分割撮影。(Photograph by Takashi Arai)
最も初期の写真技法、ダゲレオタイプ(銀板写真)に魅せられた写真家の新井卓氏。震災と原発事故を契機に、福島、広島、長崎、米国などを旅し、核の記憶をたどってきた。(作品はすべてダゲレオタイプの技法で作成。不透明な銀板の表面に写し出される像は、左右が反転した鏡像となっています。この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2017年3月号「写真は語る」に掲載されたものです)
写真の始まりを追体験したい。ダゲレオタイプ(銀板写真)という技法の再現に手探りで取り組み始めたのは、そんな単純な思いからだった。
1839年にフランス科学アカデミーで公表された世界初の実用的な写真技法は、わたしたちが思い浮かべる「写真」とはかけ離れたものだった。鏡のように磨いた銀板の表面を薬剤で処理し、カメラに装填して露光後、水銀で現像、定着させる。銀板に直接写し出される画像は異様なほど鮮明だ。
2011年3月11日の東日本大震災と、それに続く福島第一原子力発電所の事故に、大きな衝撃を受けた。震災後、被災地から時々刻々、SNSに投稿される映像を茫然と見つめていた。そこにあるのは生々しい無数の「いま」だった。それでは自分は何を写真に撮るべきか? そう自問したとき、1日に数枚しか撮影することができないダゲレオタイプの遅さに、歩調を合わせてみようと思った。「わたし」という極小(ミクロ)の視線を通して、目には見えないがそこにあるもの―たとえば福島とその周辺に降りそそいだ放射性降下物と、その存在に脅かされながらも現実と折り合いをつけて生きようとする人々の姿を記録したいと考えたのだ。
震災から4カ月後の夏の日、福島県の飯舘村で撮影をしていた。国道の脇に設営した暗室テントで現像作業をしていると、けたたましいサイレンが鳴り響いた。驚いてテントを飛び出すと、警察や消防の車列が福島市方面へ走り去っていく。原発で何かあったのだろうか? 不安と焦燥感で全身の血の気が引くような感覚に襲われた。慌ててテントを片づけ、車を猛スピードで走らせる。村境付近の山道で、咲き誇るヤマユリの一群が目に飛び込んできた。その光景に心に訴えかけてくる何かを感じ、思わず一輪だけ摘み取って、宿へ帰って撮影した。
福島で出会った人々から、震災後の状況を聞くにつれて、次第に深い憤りとともに一つの疑問が湧き上がった。いったいなぜ、広島、長崎、そして第五福竜丸事件を経験したこの国に、これほど多数の原発があるのか?
核の問題は巨大に見える。だが、ウラン採掘現場のような上流から、原発や核実験による汚染といった下流まで、その細部には必ず、一人ひとりの個人の苦しみの連鎖がある。だとすれば、その細部を見つめるのもまた、わたしたち一人ひとりの仕事にほかならない。こうして始まった旅は、福島から長崎、広島、米国へと少しずつ広がっていき、いまもその途上にある。
写真家、新井卓氏の紹介ページはこちら。
ナショナル ジオグラフィック日本版2017年3月号
新井卓氏が撮影したダゲレオタイプの作品を「写真は語る」に収録。その他、北欧のバイキングの物語や、ウズベキスタンの洞窟の記事を掲載しています。