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クシクラゲが宇宙船のように浮かび、手前にはたくさんのワレカラがいる。ワレカラは小さいがとても活発で、休むことなく食べたり仲間同士で争ったりする。(PHOTOGRAPH BY VIKTOR LYAGUSHKIN)
ロシア北西部、北極圏にまたがる白海は、世界で唯一、毎年凍結する内海だ。白海の水は実際には緑色だと、写真家のビクトル・リャグシュキン氏は言う。緑色に見えるのは、植物プランクトンが豊富だからだ。2018年4月、リャグシュキン氏は4週間以上にわたり、1日約3時間ずつ白海に潜り、クリオネ、ワレカラ、クラゲ、軟質サンゴ、イソギンチャクなど、驚異の海洋生物たちを撮影した。(参考記事:「【動画】氷の下を漂う驚異の生命、グリーンランド」)
リャグシュキン氏は、氷の下のドラマチックな風景を「別世界のよう」と表現し、氷に開けた穴から水に潜る様子を、ウサギの穴から不思議の国に向かうアリスにたとえる。
もちろん、冷たい海に潜るには、安全に細心の注意を払う必要がある。それでも、目の前に広がる美しい光景に心奪われる瞬間があるという。「クリオネを撮影するのは、たいへんな喜びです」とリャグシュキン氏は話す。カメラの前でダンスを披露するクリオネを見るのは、まるで本物の天使を見るようだと。(参考記事:「【動画】優雅で不思議なクリオネの交尾」)
また、あるときには、海中に雪が舞うという神々しい景色も目にした。穴から雪が入ってきても、塩分を含む海水は氷点下になっているため、解けることがないのだ。
そこまで高揚するほどではなかったが、同じくらい魅了されたのは、軟質サンゴを見つけたときだ。そのサンゴはねじ曲がるように海底に横たわっていた。リャグシュキン氏は、北極圏PADIダイブセンター・アンド・ロッジの創設者兼責任者であるミハイル・サフォーノフ氏にその理由を尋ねた。生物学の博士号を持つサフォーノフ氏は、ダイバーの足ひれに邪魔されたのかもしれないと言ってから、冗談で「機嫌が悪かっただけかも」と付け加えた。(参考記事:「多様な未知の生物、豪サンゴ礁で発見」)
このような極限環境での撮影には、さまざまな技術的課題がつきまとう。氷点下で何時間も過ごすのは、肉体的な消耗が激しいだけでなく、ダイビング器材にも負担がかかる。このプロジェクトだけでも、2人で11本の給気ホースが破裂した。また、リャグシュキン氏は1〜2名のアシスタントと作業することが多いが、水中では話ができないので、照明の細かな位置を調整できるよう、手話のような独自の合図を考えた。
海面は氷で覆われているので、水中は暗い。そこで、白海で最も小さな無脊椎動物を撮影するときには、ストロボと連続光の両方を使って水中を照らした。
これまで多くの水中写真を撮ってきたリャグシュキン氏だが、魚眼マクロレンズを使ったのは今回が初めてだ。そのおかげで、小さな海洋生物を周りの様子とともに鮮明にとらえられた。
リャグシュキン氏が「宇宙の脳」と名づけた写真には、氷の近くを浮遊する「ムネミオプシス(Mnemiopsis)」という有櫛(ゆうしつ)動物(クシクラゲ類)が写っている。有櫛動物は刺しこそしないが、食欲は旺盛で、さまざまな魚または無脊椎動物の卵や幼生を含む動物プランクトンや、ほかの有櫛動物などを食べる。(参考記事:「有櫛動物ゲノム、進化史の書換え迫る?」)
「宇宙の脳」はリャグシュキン氏お気に入りの1枚だ。いわく、「SF作家H・G・ウェルズの有名な小説のイラストに出てきそう」。この7〜10センチメートルの小さな生きものを見ていると、「緑色の世界に住むエイリアンの巨大な脳」を想像してしまうという。(参考記事:「肛門の起源の定説白紙に、クシクラゲも「うんち」」)
「この巨大な世界で、私たちとともに生きているごく小さな生きものたち」を見てもらいたいとリャグシュキン氏は言う。氏の作品は、彼らが白海でどのように生きているかを浮き彫りにしている。
概して、人間は海の生命の豊かさをほとんど知らない、とリャグシュキン氏は言う。その上、地球温暖化によって、私たちが詳しく知る前に、北の海の生きものたちは死に絶えつつある。(参考記事:「冬毛の動物を絶滅させない方法、研究者が提言」)
15年間にわたって白海を訪れているリャグシュキン氏によると、氷の海でダイビングできる期間は短く、氷は薄くなる一方だという。この9月には、クラゲの撮影にやってきたが、例年にない猛暑の影響ですべて死んでいた。(参考記事:「北極海の海氷面積、観測史上2番目の小ささに」)
気候変動の危機は差し迫っている。リャグシュキン氏は言う。「時間がないからと言って研究も撮影もしないでいるのは、それこそ北極海の生きものたちへの侮辱です」