私(筆者のEmma Marris氏)はこの春、米国ワシントン州北西部にある先住民「マカ族」の保留地を訪れた。シダが生い茂り、岩はコケに覆われている。波に削られた崖がそそり立ち、小島が波に洗われている。針葉樹の梢(こずえ)に低い雲がかかり、空気は海の匂いがする。ここはおそらく地球上で最も美しい場所の1つだ。
マカ族は他の多くのアメリカ先住民と違ってカジノを持たず、漁業で生計を立てている。彼らは昔から、物質的にも精神的にも、必要なものはすべて海から得ていた。19世紀、ワシントン準州知事アイザック・スティーブンスからどこを保留地に欲しいかと尋ねられたチュカ・ウィトル首長が、「海が欲しい。あれは私の国だ」と答えたという逸話は有名だ。彼らが捕鯨を行う権利は、1855年の「ニアベイ条約」により米国連邦政府に認められた。
ヨーロッパ人がアメリカ大陸にやってくる前には、マカ族は太平洋岸北西部の全域で、オヒョウ、アザラシの皮、鯨油の取引をしていた。鯨油はペリカンのくちばしで計量していた。マカ族のクジラ漁師たちは、クジラを追いかけながら、自分たちに身を捧げてくれるように歌いかけた。そして、殺されて陸揚げされたクジラのために、歓迎と感謝の儀式を行った。クジラの頭の上にはワシの羽毛がかぶせられた。
しかし、ヨーロッパ人が商業捕鯨に乗り出すと、クジラは激減した。これを見たマカ族は、1928年に自発的に捕鯨をやめた。世界の国々が国際捕鯨取締条約を締結するより20年近くも前のことだ。
捕鯨を自粛した彼らの決断は正しいことだったが、代償も伴った。
マカ族のティモシー・J・グリーン首長は、「みずからを定義するつながりを断ち切ったとき、人々はもがき苦しみます」と語る。「人々を精神的な行為から切り離すことはマイナスの影響を及ぼします。カトリック教徒がミサに行けなかったらどうなるでしょう? 私たちマカ族が(クジラ漁のために)行う訓練と精神的な準備は、私たちを本当の私たちにしてくれるのです」
コククジラの個体数が2万頭前後まで回復した1995年、マカ族は新しい世代に捕鯨を伝えようと考えた。彼らは米国政府に対して、儀式や自給分の捕獲を目的としたクジラ漁を再開する意向を通知した。
1999年には、マカ族のメンバーが動物愛護団体の妨害を受けながら1頭のクジラを捕獲した。彼らはハミングバード号と名付けたカヌーから、伝統的な方法でクジラに銛(もり)を打ち込んだ。伝統的な捕獲との大きな違いは、銛で突いた後、クジラがすぐに絶命するように銃でとどめをさしたことだ。
マカ族の人々は浜辺で新鮮な脂身を食べた。当時のシアトル・タイムズ紙には「僕はおじいちゃんからこの話をたくさん聞いていました。その言葉の意味が今、ようやく理解できました」という13歳の少年の言葉が引用されている。クジラの肉は、ポトラッチ(贈答慣行)で世界中の先住民に分け与えられた。