「性のアインシュタイン」と呼ばれた医師、ナチスが燃やした蔵書

同性愛、性愛の文学や絵画などの芸術作品、ジェンダーに関する本が数千冊

2022.07.10
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ナチス政権下で、ドイツの医師マグヌス・ヒルシュフェルトの性科学研究所は略奪に遭い、図書室は焼かれた。それから数十年後、歴史家やLGBTQ活動家たちが世界中を回り、失われた蔵書の一部を取り戻そうとしている。(PHOTOGRAPH VIA ULLSTEIN BILD/GETTY)
ナチス政権下で、ドイツの医師マグヌス・ヒルシュフェルトの性科学研究所は略奪に遭い、図書室は焼かれた。それから数十年後、歴史家やLGBTQ活動家たちが世界中を回り、失われた蔵書の一部を取り戻そうとしている。(PHOTOGRAPH VIA ULLSTEIN BILD/GETTY)
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 1990年、カナダのバンクーバーでのこと。当時学生だったアダム・スミス氏は、自宅アパートの地下にあるごみ捨て場で、古い革のスーツケースがいくつも積まれているのを発見した。そのうちの1つを開けてみると、石膏でできたデスマスクが入っていた。口ひげをたっぷりとたくわえた男性の顔だった。他のスーツケースには、日記、手紙、写真などが詰まっていた。その内容から、持ち主は最近このアパートで亡くなった高齢の中国人男性だろうと推測された。

 このまま捨てられてしまうのは惜しいと感じたスミス氏は、スーツケースを自分の部屋に運び入れた。そして、当時黎明期にあったインターネットの掲示板に、スーツケースの中身から見つけた2人の人物名を入力した。「ドクター・マグヌス・ヒルシュフェルト、またはリー・シウ・トンという名に見覚えのある人はいませんか。何かで名が知れた人たちなのでしょうか」。スミス氏がその答えを知るのは、それから10年後のことだった。

性のアインシュタイン

 1930年代、ヒルシュフェルトは「性のアインシュタイン」として世に知られていた。ドイツ系ユダヤ人医師で、性科学者としてベルリンで「性科学研究所」という図書室兼研究センター兼診療所を運営していた。診療所では、初の現代的な性別適合手術が行われ、研究所はホモセクシャリティの大規模な研究や、LGBTQの権利を擁護するロビー活動を行っていた。(参考記事:「「LGBT」から「LGBTQIA+」へ、言葉が長くなってきた理由」

マグヌス・ヒルシュフェルトは、ジェンダーと性研究の草分け的存在であり、LGBTQの権利活動家だった。より平等な社会を求める彼のビジョンが実現したのは、その死から半世紀後のことだった。(PHOTOGRAPH VIA KEYSTONE-FRANCE/GAMMA-KEYSTONE/GETTY)
マグヌス・ヒルシュフェルトは、ジェンダーと性研究の草分け的存在であり、LGBTQの権利活動家だった。より平等な社会を求める彼のビジョンが実現したのは、その死から半世紀後のことだった。(PHOTOGRAPH VIA KEYSTONE-FRANCE/GAMMA-KEYSTONE/GETTY)
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 図書室には、同性愛、性愛の文学や絵画などの芸術作品、ジェンダーに関する本が数千冊収められていた。しかし、その後ドイツでナチスが政権を握ると、研究所は略奪に遭い、図書室には火が放たれた。ちょうどその頃世界的な講演旅行に出ていたヒルシュフェルトはドイツに戻ることができなくなり、フランスへの移住を余儀なくされた。

 それからわずか2年後、ヒルシュフェルトはフランスで死亡し、所有物の一部は、若き中国人医学生でヒルシュフェルトの助手兼恋人だったリーが引き取った。

 スミス氏にとって、たまにアパートのエレベーターですれ違うだけのリーは、物静かな住人という印象しかなかった。そのリーの死から10年がたったある夜、ラルフ・ドーゼという名のドイツ人研究者が、オンラインの掲示板を調べ回っていたときに、スミス氏の古い投稿に行き当たった。

 ドーゼ氏は、マグヌス・ヒルシュフェルト協会の会長兼共同創立者として、1980年代から世界中に散らばったヒルシュフェルトの記録の断片を集めていた。スミス氏の投稿を発見してから、本人にたどり着くまでにさらなる調査を必要としたが、その時にはトロントに移り住んでいたスミス氏は、スーツケースをまだ捨てずに持っていた。2003年、ドーゼ氏はスーツケースを引き取るためにドイツからトロントへ飛んだ。

世界初のLGBTQ擁護団体と性科学研究所

 1897年、ヒルシュフェルトは科学人道委員会の設立に携わった。現在では、これが世界初のLGBTQの権利擁護団体だったと考えられている。設立の背景には、その2年前にイングランドで、作家のオスカー・ワイルドが同性愛に関する25の罪で起訴されたことも影響していた。

 第一次世界大戦後、進歩的だったワイマール共和国の下、ベルリンでゲイシーンの基礎が築かれた。にぎやかなキャバレーが生まれ、LGBTQへの支持が高まり、自由が拡大した。ヒルシュフェルトによると、人間のセクシャリティには、4304万6721もの異なるタイプがあるという。「人それぞれ違うように、愛の形も様々である」とは、ヒルシュフェルトが残した言葉だ。(参考記事:「地図で見るLGBT違法の国、合法の国」

 1919年には、ベルリンのティアガルテン公園の端に、世界初の性科学研究所を創立した。その図書室は、当時としては、世界最大の性に関する蔵書数を誇っていた。大ホールでは講演が開かれ、世界各地から集められた性に関する品を展示した性博物館も併設された。診療所では、男性から女性への性別適合手術が行われていた。

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