連合国が一線を越えた「ゴモラ作戦」、原爆につながる無差別攻撃

多数の民間人が犠牲になったハンブルク空襲は正しかったと言えるのか?

2022.07.23
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1943年7月、連合軍はドイツ第2の都市ハンブルクに猛烈な空襲を始めた。聖書に登場する、神が火と硫黄で破壊した都市にちなんで名付けられた「ゴモラ作戦」は、ドイツの士気を低下させ、戦争を終わらせるために考案された。(BRIDGEMAN IMAGES)
1943年7月、連合軍はドイツ第2の都市ハンブルクに猛烈な空襲を始めた。聖書に登場する、神が火と硫黄で破壊した都市にちなんで名付けられた「ゴモラ作戦」は、ドイツの士気を低下させ、戦争を終わらせるために考案された。(BRIDGEMAN IMAGES)

 次々と襲う爆弾の熱に耐えられず、ポール・ピーターズ氏は防空壕からハンブルクの通りに出ていった。そうして外へ出た人々は、ハリケーンのような強風と灼熱に見舞われた。

 連合国の英国と米国が「ゴモラ作戦」と名付けた1943年のハンブルク空襲は、ドイツの戦力の中枢だった港湾都市を生き地獄に変えてしまった。

「あまりの火の勢いに、帽子は頭から剥ぎ取られ、火の玉のように空中を舞った」というピーターズ氏の証言が記録されている。「一人で走り回っていた小さな子どもさえ、体ごと地面から持ち上げられ、空中に放り出された」。ピーターズ氏はその夜の空襲を生き延びたが、彼の妻は生き残ることができなかった。

 ゴモラは聖書に登場する都市で、神が火と硫黄で破壊したとされる。それにちなんで名付けられたゴモラ作戦は、8昼7夜に及ぶ空爆であり、ドイツ第2の都市ハンブルクを完全に破壊することが目的だった。

 ハンブルク空襲は第2次世界大戦の新しい局面の始まりだった。というのも、ドイツ軍の士気をくじき、戦争を終わらせるために、連合国が協調して民間人を標的にし始めた作戦だったからだ。また、レーダーがほとんど役に立たなくなる革新的な新技術が初めて使用された作戦でもあった。(参考記事:「世界を変えた航空戦「バトル・オブ・ブリテン」」

連合国の空爆作戦が続く1週間、ハンブルク上空に焼夷弾の光の軌跡が広がる。この攻撃は、それまでの「精密爆撃」から周辺の民間人地区を巻き込む全面攻撃への移行を意味した。(BRIDGEMAN IMAGES)
連合国の空爆作戦が続く1週間、ハンブルク上空に焼夷弾の光の軌跡が広がる。この攻撃は、それまでの「精密爆撃」から周辺の民間人地区を巻き込む全面攻撃への移行を意味した。(BRIDGEMAN IMAGES)

精密とは程遠い「精密爆撃」

 民間人を標的にすることは、開戦当初の連合国の指揮官らにとって不快な考えだった。1940〜1941年のロンドン大空襲で多くの民間人が犠牲になった際、迅速な報復を求めた国会議員に、チャーチル英首相が「これは軍事戦争であり、民間戦争ではありません」と言ったのは有名な話だ。

 だが1943年になると、この見解は人々の賛同をあまり得られなくなっていた。英空軍は、昼間に軍事施設や工業施設を標的とした空襲を、夜間にドイツの都市へのチラシ投下を行う「精密爆撃」戦略をとっていた。しかし、この戦略は、英空軍の装備の精度の低さと、白昼の空襲に伴う危険によってうまくいかず、結果として多くの死傷者が出た。

 そこで、英空軍は夜間爆撃を始めた。しかし、英国の爆撃機は夜間飛行に適さなかったうえ、灯火管制とドイツの対空兵器により、精密爆撃はほとんど不可能だった。ある内部報告書によると、標的から5マイル(約8 キロメートル)以内に爆弾を投下できたのは2割の爆撃機だけだったという。

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