クロノバクター・サカザキが牙をむくとき
しかし、免疫系が未発達で腸内細菌叢も成熟していない新生児は、クロノバクター・サカザキのような病原菌が体内に入ると、たちまち圧倒されてしまう。病原菌は、汚染された粉ミルクや、分娩時の産道感染によって新生児の体内に入ることが多い。
クロノバクター・サカザキは典型的には消化管から体内に侵入するのだと、米カリフォルニア大学バークレー校の感染症学名誉教授ジョン・スウォーツバーグ氏は説明する。病原菌は通常、腸管内の空間と腸管組織の間にある粘液層に捕らえられる。しかし、新生児や免疫力が低下した大人の場合、「クロノバクター・サカザキは粘液層を突破して血流に入り、全身に運ばれてしまうことがあります」
そうなると、細菌は「敗血症を引き起こし、炎症によって血管の壁から血液が漏れ出して、心臓や腎臓など複数の臓器が機能不全に陥ります」とエドワード氏は言う。
クロノバクター・サカザキが好むもう1つの標的は脳だ。「脳と脊髄を覆う髄膜を攻撃し、細菌性髄膜炎を引き起こします」とスウォーツバーグ氏は解説する。「子どもが一命を取り留めたとしても、けいれん発作、認知機能障害、発達の遅れなど、しばしば深刻な結果を招きます」
乾燥に強いクロノバクター・サカザキ
クロノバクター・サカザキは腸内細菌科(エンテロバクター科)の桿菌(かんきん、棒状の細菌)で、栄養分などの目標物に向かって移動するのを助ける鞭毛(べんもう、糸状の突起)をもつ。
この細菌は移動できるだけでなく、非常に丈夫でもあり、2年間も放置された粉ミルクの中から発見されたこともある。チャップマン氏は、「このタイプの細菌で乾燥した環境で長く生き延びられるものは、極めて特殊です」と言う。そのせいで、食品を乾燥させて細菌の増殖を抑える食品安全対策は効かない。
その性質の秘密はゲノムにあると、アイルランド、マンスター工科大学の分子生物学者ロイ・スリーター氏は説明する。他の細菌には1つしかない乾燥から身を守るタンパク質の遺伝子を、クロノバクター・サカザキは7つも持っている。そのため、こうしたタンパク質をより多く産生できるのだ。そして、「細菌を乾燥から守るしくみは、高温や高圧といった他のストレスからも細菌を守ります」とスリーター氏は言う。実際、乾燥に強い細菌は熱への耐性も高いことが確認されている。
クラウド氏によると、クロノバクター・サカザキはバイオフィルムを形成することもできるという。バイオフィルムとは膜状の細菌の共同体で、調理台や病院の備品などの表面だけでなく、赤ちゃんの腸細胞のような有機物の表面にも形成される。バイオフィルム内の細菌は互いにコミュニケーションをとり、環境の変化に柔軟に適応できるため、単独でいるときよりもはるかに強く、バイオフィルムの破壊を難しくしている。
チャップマン氏は、この数カ月間の出来事が、人々の目をクロノバクター・サカザキに向けるきっかけになるように期待している。「私たちは大腸菌やサルモネラ菌などの細菌は追跡していますが、クロノバクター・サカザキは追跡対象に入れていません」と氏は言う。しかし、この細菌が粉ミルクを唯一の栄養源とする乳幼児に与える影響は非常に大きい。「クロノバクター・サカザキ感染症を、追跡と届出の対象に指定するべきだと思います」