のちに英国王ジェームズ2世となるヨーク公を乗せて340年前に難破した英海軍のH.M.S.グロスター号を発見したと、英イーストアングリア大学の研究者らのチームが6月10日に発表した。
「文字通り、歴史を変えるきっかけになった沈没船です」と、海事の歴史を専門とする同大学のクレア・ジョウィット氏は語る。未開封のワインボトルなどがすでに見つかっており、優雅な旅と歴史を物語る遺物の発見への期待が高まっている。
1682年春の風が強い朝。英蘭戦争で活躍後、退役したグロスター号は、王室の任務としてヨーク公の妻メアリーをエディンバラまで迎えに行き、ロンドンに戻っているところだった。グロスター号の姿はさぞかし壮観だったことだろう。金箔の船尾、マストの天辺でたなびく王旗。50門の大砲を備えた立派なフリゲート(軍艦)だ。
グロスター号には、国王チャールズ2世の弟で英国の王位継承者だったヨーク公自身も乗船していた。公は大勢の取り巻きとともに、極上の料理、希少なワイン、音楽家による生演奏が付いたぜいたくな旅を楽しんでいた。
「グロスター号はパーティの中心地でした」。沈没船の専門誌「Wreckwatch」の創刊者で、海事の歴史に詳しいショーン・キングスレー氏はそう笑う。「ヨーク公とその取り巻きは楽しいときを過ごしていました」。船旅を楽しむ人々の中に、上昇志向の強いサミュエル・ピープスも含まれていた。ピープスは日記を欠かさない人物で、グロスター号に同行した船でも航海の記録を残している。
1682年5月6日の夜明け前、小さな船団はノーフォークの約50キロ沖で、強い風に乗って順調に進んでいた。しかし、その前夜、船長や水先人の間で激しい論争が起こり、お祭り気分はすでに冷めていた。この辺りに隠れている砂州を避けるため、もっと沖に出た方がいいという意見が出たのだ。
海軍のトップを務め、海の男を自称していたヨーク公が間に入り、航路と方角を維持する決断を下した。これが運命を決めた。
午前5時半頃、グロスター号は6ノットで砂州に激突した。17世紀のフリゲートとしては猛烈なスピードだった。かじが引きちぎれるほどの激しい衝突で操縦者は命を落とし、船は45分足らずで沈没した。約330人の乗船者のうち130〜250人が亡くなったと推定されている。未来の国王は無事だったが、この惨事をきっかけに海軍は彼の不支持に回り、即位後の混乱した短い治世の間も、多くの敵がこの件を中傷の材料にした。
実は15年前に発見されていた
何世紀もの間、不運なグロスター号の所在は謎に包まれていた。そして、この15年間は秘密にされてきた。2007年、2人のアマチュア考古学者が沈没船の木材と大砲を発見したのだ。しかし、沈没船がグロスター号だと確認され、現場が保護されるまで、この発見は公表されなかった。
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