電気刺激を利用して、うつ病や自己免疫疾患などの症状を治療する研究が進んでいる。手術で脳の奥深くに電極を埋め込み、特定のニューロン(神経細胞)を電気で刺激する脳深部刺激療法(DBS)が、てんかんやパーキンソン病に有効であるということは、数十年前から実証されてきた。最近では、同じ方法でほかにも治療できる可能性のある病気が増え、さらに体内からだけでなく体外からの電気刺激でも効果が得られるかもしれないと考える科学者たちもいる。
DBSで重度のうつ病などを治療しようという試みが注目を集めたのは2010年代のこと。いくつかの小規模な試験で有望な結果が報告されたものの、その後に実施された2つの大規模な臨床試験では有効性を示すことができなかった。
臨床試験は半年後に新規患者の登録受付を停止したが、既に手術で電極を埋め込んだ患者に関しては追跡調査が続けられた。すると2年後、半分の患者に症状の劇的な改善が見られた。だが残念ながら、この時には実験は中止されていた。
2020年には、米ニューヨーク州のファインスタイン医学研究所で、交通事故で左手の親指が動かなくなっていたシャロン・ラウディーシさんに、手術なしに体外から電気刺激を与える実験が行われた。クレジットカードほどの大きさのパッチに約100個の電極をつなげたものを、ラウディーシさんの首の後ろの皮膚に貼り付けた。そして、脊髄を伝わって親指まで行く神経に刺激を与えた。ラウディーシさんは、まず頭部に刺激を感じたという。「針の先のような、ごくわずかな振動でした」
パッチを貼る適切な位置とその効果を確認した後、研究室での1時間の治療を週に1回、8週間続けた。
効果は最初の数週間で表れ始め、ラウディーシさんは親指を少し動かすことができるようになった。9カ月後、行きつけのネイルサロンでネイリストが爪やすりをかけていたとき、突然左親指に感覚が戻ってきたという。事故以前の状態まで戻ったわけではないが、今では親指を使ってペットボトルを開けることができるようになった。
パーキンソン病、てんかん
電気がニューロンに与える効果は、病気によって異なるようだ。
パーキンソン病の原因は、脳にある黒質と呼ばれる部分で、神経伝達物質ドーパミンを作るニューロンが変性することにある。これらのニューロンが減ると、作られるドーパミンの量が減り、パーキンソン病特有の震えなどの症状が出る。この部分に電極を挿入し、ペースメーカーのように定期的に電気の刺激を与えると、まだ生き残っているニューロンが死滅したニューロンの分を補ってより多くのドーパミンを出すようになり、症状が緩和される。
てんかん患者の場合、発作を引き起こすニューロンの過活動を、電極によって鎮めることができる。(参考記事:「てんかん治療にブタの脳細胞を移殖、アシカで効果」)
だが、ほかの病気の治療となると、そう簡単にはいかない。「様々なメカニズムが関わってきます。その全てが完全に解明されているわけではありません」と、米ベイラー医科大学の神経外科医サミール・シェス氏は話す。
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