1912年4月、豪華客船タイタニック号は、英国のサウサンプトン港を離れ、処女航海に出た。
14日、船長のエドワード・J・スミスは、洋上でいつものように船の点検を済ませたが、予定されていた安全訓練は行わなかった。その後、日曜日の礼拝を終えると、航海士と会って、船の位置を確認した。彼らの計算によると、船は平均22ノットで快調に進んでいた。
日が暮れると、気温は氷点下まで下がった。海面はガラスのように輝き、氷山の特定を困難にした。春の北大西洋ではよくあることだ。
それでも船長は、そのまま全速力で船を走らせた。もし何かが見つかっても回避できるだろうと考えていたからだ。
見過ごされた警告
午後7時半までに、タイタニック号は近くを航行していた複数の船から5回にわたって警告を受け取っていた。無線通信士のジャック・フィリップスは、ある船からの「多数の氷山や海氷の存在と位置を知らせる」詳細なメッセージを書き留めている。ところが、彼は乗客の個人的なメッセージを送信するのに忙しく、この警告を航海士に報告しなかったようだ。
午後10時55分、別の貨物船カリフォルニアン号が、「海氷の密集地帯に入って船が完全に停止した」と連絡してきたが、無線は緊急性が高いことを示すコードで始まっていなかったため、これも報告されなかった。
見張り台に立っていた当直のフレデリック・フリートとレジナルド・リーは、目を凝らして前方の暗闇を見つめていた。午後11時40分になる直前、フリートが真正面に海よりもさらに黒い何かがあるのを認めた。船が近づくにつれ、その正体が明らかになった。氷山だった。フリートは警告ベルを3回鳴らし、船橋へ連絡を入れた。
衝突
船橋で報告を受けた一等航海士のウィリアム・マードックは、直ちに船を停止させ、進路を左へ変えるよう命令を出した。さらに、氷山を回避するため「全速後進」を命じてから、船内の防水隔壁のドアを閉めるボタンを押した。
船はギリギリのところで左へ向きを変え、氷山は右舷のすぐ横を通過していった。
一見危機を脱したかに思えたが、目に見えない水面下で船は氷山に接触し、船体に穴が開いた。ほとんどの乗客は衝撃に気付かなかったが、船首にいた人々は、氷の塊が甲板に落ちてきたため、氷山に衝突したことがわかった。
下のボイラー室と郵便室では、船首に最も近い5つの区画に水が入り込み、乗務員たちが不安に駆られていた。タイタニックの運命は明らかだった。水を遮断するはずの隔壁は、船の底からEデッキの高さまでしか届いていなかった。通常の状態であれば十分な高さのはずだが、船首が沈み、船が傾き始めれば、水面は隔壁の上辺を超えてしまって、何の役にも立たなくなる。