2015年、脊髄性筋萎縮症を患った人物の頭部移植を計画した外科医がいた。手術は実現したのか?その結末は?  書籍『科学で解き明かす 禁断の世界』から抜粋して紹介する。

ヴァレリー・スピリドノフは自分の頭を他人の体に移植する最初の人間になることを志願した。(Photograph by Erika Engelhaupt)
ヴァレリー・スピリドノフは自分の頭を他人の体に移植する最初の人間になることを志願した。(Photograph by Erika Engelhaupt)
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 ヴァレリー・スピリドノフはひどく小さく見えた。彼が着ているものはどれも真っ白だった。シャツからズボンから靴下まで全部だ。電動車いすに体を固定しているストラップだけが黒だった。スピリドノフの病状は深刻だ。彼は脊髄性筋萎縮症というまれな進行性の運動ニューロンの病気を患い、ゆっくりと死に向かっていた。

 スピリドノフはまだ動く左手を使って車いすを操作しながらホテルの会議室に入ってきた。そこで彼は改めて、自分の頭を新しい体に移植する最初の人間になりたいと思っていることを話してくれた。

 2015年6月12日、当時30歳だったスピリドノフは、米国脳神経外科・整形外科学会(AANOS)の年次大会に出席するためにロシアから米国に飛んだ。彼が会場に駆けつけたのはイタリアの外科医、セルジオ・カナベーロの応援のためだった。頭部移植手術を提案するカナベーロは、学会の基調講演を行うことになっていた。

 集まる外科医が100人に満たないほどの小規模な学会は、ごく普通のホテルで行われた。

「この男性にとってそれでは遅すぎる」

 私が到着したとき、カナベーロはちょっとした記者会見を開いていた。部屋から人があふれそうだったので、学会の主催者であるマギー・カーニーは記者を追い返す仕事にずっと追われていた。彼女は、ここ15年の間にこの学会に記者が取材にやってきた記憶はないと言っていた。

 カナベーロの話は3時間近くも続いた。彼は脊髄損傷と回復について研究した論文を引用しながら、中枢神経系のさまざまな部位が再生する可能性について言及した。彼は脳神経外科学の基本的な前提のいくつかは間違っているという自分の信条を披露した。時折、彼はスピリドノフや車いすを指さし、高らかに宣言した。「彼が再び歩けるようになるためのカギとなるのは脊髄固有ニューロンだ!」

 頭部移植は「死ぬよりひどいことになる」、あるいは患者の正気を失わせる恐れがあるという反対意見を聞かされたカナベーロは、スピリドノフの方に向き直って尋ねた。「君の(今の)状態こそ、君の気を狂わせる恐れがあると思わないかね」。スピリドノフは静かに肯定の意思を示した。

「いずれは遺伝子治療と幹細胞が彼らに幸福な未来を与えてくれることは間違いないだろう」とカナベーロは言った。「しかし、この男性にとってそれでは遅すぎる」

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