階層的位相コントラスト断層撮影法(HiP-CT)という強力なX線スキャン技術によって、人体の最も微細な毛細血管や、個別の細胞のレベルまで拡大した画像が撮影できるようになった。この新技術は、30人以上の科学者による国際チームが生み出した。
HiP-CTはすでに、新型コロナウイルスが血管や肺にどのような損傷を与えるかについて、新たな見方を提供している。研究者たちは、この撮影法に大きな可能性を見出しており、病気や人体をより詳しく理解する新たな手法として期待している。
もっと大きな拡大鏡を
HiP-CTは、2人のドイツ人病理学者が、新型コロナウイルスの人体への影響を調べようとしたことから始まった。新型コロナのパンデミック(世界的大流行)が始まって間もない頃だった。
ハノーファー医科大学の胸部疾患病理学者ダニー・ヨーニク氏とマインツ大学医療センターの病理学者マクシミリアン・アッカーマン氏は、肺炎の患者が中国で続出しているというニュースが流れはじめた当初から警戒を強めていた。2人とも肺疾患を専門としていたため、これが普通の肺炎でないことはすぐにわかった。なかでも気がかりだったのは、呼吸苦がないのに血中酸素濃度が非常に低い「無症候性(サイレント)低酸素症」についての報告だった。(参考記事:「新型コロナ、気づかぬうちに重症化する「サイレント低酸素症」」)
新型コロナウイルスが肺の血管を何らかの形で攻撃しているのではないかと考えた2人は、2020年3月にドイツで感染が拡大すると、死亡した感染者の解剖を始めた。そして、自分たちの仮説を検証するため、組織標本に樹脂を注入してから組織を酸で溶かし、もとの血管構造を忠実に再現した型を取るという手法で血管を調べた。
新型コロナ感染症による死者の組織と、その他の死者の組織を同じ方法で比較したところ、前者では肺の最も細い血管がねじれて変形していることがわかった。この重要な知見は2020年5月21日付けで医学誌「The New England Journal of Medicine」に発表され、新型コロナ感染症が厳密には呼吸器系の疾患ではなく血管系の疾患であり、全身の臓器に影響を及ぼす可能性があることを示した。
「人体にあるすべての血管を取り出して一列に並べると約10万キロメートル、地球の赤道を2周半できる長さになります」とアッカーマン氏は言う。これだけの長さの血管のわずか1%がウイルスに侵されただけでも、血液の流れや酸素の吸収が悪くなり、全身の臓器に致命的な影響を及ぼすおそれがあるという。
新型コロナ感染症が血管に及ぼす影響を認識したヨーニク氏とアッカーマン氏は、その損傷をもっと詳細に観察する必要があると考えた。
しかし、CTスキャンなどの医療用X線画像では、臓器全体を見ることができるものの、解像度は不十分だった。一方、生検では組織サンプルを顕微鏡で観察できるが、臓器のごく一部の画像しか得られず、新型コロナ感染症がどのように肺全体に広がるかを知ることはできない。また、2人が用いた樹脂を使った手法では、組織を溶解する必要があるため、標本は失われ、それ以上の研究はできない。
「酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出すという役割を担う肺には、途方もない長さの血管や毛細血管が、奇跡のように整然とはりめぐらされています」とヨーニク氏は言う。「新型コロナ感染症のような複雑な疾患を、臓器を破壊することなく評価するにはどうすればよいのでしょうか?」
ヨーニク氏とアッカーマン氏は、これまでにない技術を必要としていた。それは、同一の臓器に対して連続でX線撮影を行い、臓器の一部にズームインして細胞のスケールまで拡大できるようにする技術だ。2020年3月、2人は長年の共同研究者である英ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)新興技術部門の主任ピーター・リー氏に相談をもちかけた。リー氏の専門は、強力なX線を用いた生体材料の研究だ。そんなリー氏の頭に、フランス南東部にある加速器が浮かんだ。
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