冬のK2へ ネパール人の誇りを胸に

ネパール人だけで編成された登山隊、前人未到の冬季初登頂に成功

2022.01.28
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
誌面で読む
麓の氷河から頂上まで標高差が3000メートル以上あるK2は「非情の山」と呼ばれている。これまで冬季登頂に成功した者はいなかった。ニムスことニルマル・プルジャは「不可能は可能だということを世界に示したかった」と話す。(PHOTOGRAPH BY SANDRO GROMEN-HAYES)
麓の氷河から頂上まで標高差が3000メートル以上あるK2は「非情の山」と呼ばれている。これまで冬季登頂に成功した者はいなかった。ニムスことニルマル・プルジャは「不可能は可能だということを世界に示したかった」と話す。(PHOTOGRAPH BY SANDRO GROMEN-HAYES)
この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2022年2月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

ネパール人だけで編成された登山隊が国の威信を懸けて世界第2位の高峰に挑み、前人未到の冬季初登頂に成功した。

 物悲しく静まり返った漆黒の闇が、辺りを包み込む。

 ミンマ・ギャルジェ・シェルパ、通称ミンマ・Gは、数歩先を揺れながら照らすヘッドランプの丸い光跡に神経を集中させた。寒さが正常な思考を阻む。下着を2枚重ねた上にダウンジャケットを着込み、さらに厚手のダウンスーツで防備して、酸素も補給している。過去に登頂した高峰、今までに経験した猛吹雪や疾風を考えれば十分な準備のはずだった。だが、これほどの寒さを感じたのは初めてだった。

 体の機能が停止していく。心配なのは右足だ。最初はひりひりと痛んでいたが、やがて燃えるように熱くなり、ついには感覚がなくなった。深刻な凍傷の前触れだ。重要な臓器に血液を送るために、末端が犠牲になっているのだ。この先、「死の領域」と呼ばれる標高8000メートルを超えると、酸素不足で幻覚が生じ、肺に水がたまり、自衛本能が働かなくなる。

「ダワ・テンジン、ダワ・テンジン」。仲間に無線機で呼びかけるときだけ、頭が働くのがわかる。だが返ってくるのは風の音だけだ。仲間は上方の緩やかな雪面を登っていて、薄明かりが点線のように並んでいる。みんな登ることで精いっぱいなのか、体がきつくて応答する余裕がないのだろう。

 標高8611メートルと世界第2位の高さを誇るK2は、気候が穏やかな夏季でも危険な山だ。エベレストより200メートルほど低いが、K2登頂に求められる登山技術ははるかに高く、少しの失敗も許されない。

 冬至からほぼ4週間が過ぎた今、北半球は生命を育む太陽の熱から最も遠い角度に傾いている。とりわけ高山は、地球でも極めて過酷な環境だ。山頂付近の体感温度は氷点下60℃まで下がる。火星の平均気温とほぼ同じだ。

 だがこれは、ミンマ・Gがずっと夢見た瞬間だった。凍傷を防ぐために、感覚がまひした右足で氷を必死に蹴りつけながらも、彼は仲間が今、頂上までのルートを確保するロープを固定してくれていると信じていた。

 どんなにベテランの登山家でも、冬のK2挑戦はあまりに無謀だ。これまで6回の挑戦があったが、いずれも頂上に接近することさえできていない。なにしろ障害が多過ぎるのだ。予測不可能なハリケーン並みの強風は、ロープでつながった登山者たちを瞬時に吹き飛ばすし、上からは岩や氷が砲弾のように落ちてくる。空気が薄いので呼吸がしにくく、頭の働きも鈍る。そして底なしの無情な寒さだ。強い意志と豊富な経験を誇る登山隊でさえ、危険な状況と疲弊による重圧で隊員たちの結束が失われて、統率がとれなくなることもある。

 2020年も終わりに近づいた頃、高高度登山に残された最後にして最大の難関を突破しようと、K2の麓、カラコルム山脈のパキスタン側に広がるゴドウィン・オースティン氷河に、約60人の登山家がやって来た。ミンマ・Gをはじめとする10人のネパール人にとって、この挑戦は個人の名誉だけの問題ではなかった。世界有数の高峰を国土にいくつももつネパール人が、不可能とされていたことをなし遂げる絶好の機会だったのだ。

カラコルム山脈中央部、ゴドウィン・オースティン氷河上にあるK2ベースキャンプに集まったポーターたち。ここは山頂を目指す際の拠点であり、休息所でもあるが、気象条件が悪ければ滞在することすら厳しいものになる。(PHOTOGRAPH BY SANDRO GROMEN-HAYES)
カラコルム山脈中央部、ゴドウィン・オースティン氷河上にあるK2ベースキャンプに集まったポーターたち。ここは山頂を目指す際の拠点であり、休息所でもあるが、気象条件が悪ければ滞在することすら厳しいものになる。(PHOTOGRAPH BY SANDRO GROMEN-HAYES)

 ミンマ・Gは、K2への道が自分たちを呼んでいるように思えた。だが、登頂を果たす前に、どんな犠牲を払わなければならないのだろう。まず頭によぎったのは、重傷を負えばその後の人生が一変するということだ。山岳ガイドだった父親は、エベレスト登山中に外国人登山客の靴ひもを素手で結んだために、凍傷で指8本を失った。もし今回、仲間の誰かが手足をなくしたり、命を落としたりしたら? 登頂にはそれだけの価値があるのか? さまざまな危険を明確に理解し、骨まで凍りそうな寒さにさらされても、ミンマ・Gたち登山隊の答えは一つだった。

冬の一番乗りを目指す

 ミンマ・Gたちが挑戦した2020年には、「史上初の快挙」という概念はすでに時代遅れの感があった。標高8000メートルを超える世界有数の14の高峰は、ネパールのアンナプルナI峰の1950年、エベレストとパキスタンのナンガ・パルバットの53年を皮切りに、残りの峰々も続々と登頂され、最後の1峰だったチベットのシシャパンマでも64年に初登頂された。

 どの国が一番乗りするか、競争は熱を帯びた。8000メートル峰はすべてアジアにあるにもかかわらず、この名誉をほぼ独占したのはヨーロッパの登山隊だった。しかもこの時代の登山はシェルパ族、チベット族、バルティ族といった地元の少数民族が頼りで、彼らがベースキャンプへの輸送、登山中の荷物運びを一手に引き受けていた。こうしたパートナーの貢献は、登山史の本でもほとんど評価されていない。

次ページ:ネパール人だけで歴史的登頂を成功させた例はなかった

ここから先は、「ナショナル ジオグラフィック日本版」の
定期購読者(月ぎめ/年間のみ、ご利用いただけます。

定期購読者(月ぎめ/年間)であれば、

  • 1 最新号に加えて2013年3月号以降のバックナンバーをいつでも読める
  • 2ナショジオ日本版サイトの
    限定記事を、すべて読める

おすすめ関連書籍

2022年2月号

ノートルダム 再建への道のり/冬のK2に挑む/巧みに適応した魚/誇り高きカウボーイたち/農作物のミクロの世界

ノートルダム大聖堂の大火災から3年。2024年の再建を目指して修復が進むなか、ナショジオは現場への立ち入りを特別に許され、作業に携わる人々の懸命な姿をレポートします。このほか、2月号ではネパール人だけの登山隊が偉業を遂げた「冬のK2に挑む」、シクリッドの多様な世界をのぞく「巧みに適応した魚」などの特集をお届けします。

定価:1,210円(税込)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
誌面で読む