免疫拒絶反応は、移植を待つ人々にブタの臓器を使用するという取り組みにおいて、最大の障壁となってきた。

 だが、脳では比較的、拒絶反応は起きにくい。クロナットの場合、移植された細胞を体が拒絶しないようにするため、手術中と術後に免疫抑制剤が短期間投与された。人体の免疫拒絶反応を回避するには、特定の免疫遺伝子を持たないように操作したブタの胚の使用が考えられると、バラバン氏は話している。

 しかしながら、ブタ細胞を用いるのが最良かどうかについてはまだわかっていない。以前から、てんかんの研究者たちは、ヒトの胚から採取した胎児細胞なら脳の発作を緩和できるかもしれないと考えてきた。だが、こうした細胞を胎児組織から採取することには倫理上の問題がある。そこで、別の供給源が注目されるようになった。それは患者本人だ。

 米ハーバード大学などの研究者たちは、ヒトの皮膚細胞を胚に似た状態に再プログラミングし、初期の抑制性神経細胞に誘導する研究を行っており、この再プログラミングされた細胞でマウスの発作を改善できることが確認されている。

 米デューク大学の神経外科医、デレク・サウスウェル氏は、クロナットの回復を「治癒」と呼ぶことに慎重な構えだ。ひとつには、動物はもちろんだが、人間の患者の発作を評価することは難しいからだ。また、移植後に生き延びてクロナットの脳で生着した細胞の数もわかっていない。

 過去にも、ブタの脳細胞がパーキンソン病の患者に移植されたことがある。最初は1990年代後半、2回目は2017年だったが、その結果は思わしくなかった。英ケンブリッジ大学の神経科医、ロジャー・バーカー氏は、その原因のひとつは、治験に参加した患者が重症化していた点だと考えている。また、脳に生着する前に多くの細胞が死滅してしまった可能性もある。

 この治療の治験を人間のてんかん患者に実施する前に、適切な細胞の種類、必要な細胞の数、注入部位などを詳細に解明する必要がある。細胞が多すぎると、脳に腫瘍ができる恐れもある。

 現在、アシカのクロナットは移植前よりずっと元気に過ごしているが、まだ手術例としては1頭目だ。バラバン氏のチームは、この治療法の安全性と有効性を見極めるため、さらに多くのアシカに移植を行わなければならない。人間のてんかん患者にこうした移植の治験を行うかどうかを規制当局が判断するのは、その後の話だ。

参考ギャラリー:先端技術で見えた脳の秘密(2014年2月号)
参考ギャラリー:先端技術で見えた脳の秘密(2014年2月号)
センサー付きのヘルメットをかぶって脳をスキャンし、脳内の水分子の動きを検出する。このデータに基づいて「脳の回路」画像をつくることができる(Photographs by Robert Clark)

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