あれから80年、真珠湾攻撃が変えた米国の世界観

第二次世界大戦へ引きずり込み、米国の中立主義を変えた攻撃作戦

2021.12.08
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 しかし、奇襲攻撃なら何とかなるかもしれない。連合艦隊司令長官の山本五十六は、米国へ宣戦布告する前に、太平洋で奇襲をかけ、米国の太平洋艦隊にできるだけ多くの損害を与えるべきだと提案した。(参考記事:「米国で見つかった日本の軍事機密「地図」14点」

 山本は、後の海軍大佐である源田実らとともに綿密な作戦計画を練り上げた。昭和天皇は数カ月に及ぶ軍からの圧力に屈し、ついに作戦を許可した。

 米国は、日本が航空戦力を増強させていることに感づいていたものの、真珠湾を目標にした攻撃は寝耳に水だった。1941年12月6日、米陸軍諜報部は、戦争が差し迫っていることを示す通信を傍受していたにもかかわらず、攻撃対象が真珠湾であるとは夢にも思わなかった。ホノルルの電信局へこれが届く頃には、攻撃は始まっていた。

何が起こったのか

 夜明け前に放たれた第一砲は、米軍の駆逐艦ワード号によるものだった。真珠湾の入り口付近で潜水艦の潜望鏡が目撃されたとの報告を受けたワード号が、これに攻撃を加え、沈没させた。しかし、このあと空からの攻撃があるとは予測していなかったため、特に警報を出すことはしなかった。ハワイ時間で午前7時48分、日本軍による第一波の急降下爆撃機が真珠湾上空に現れた。目標は、湾の中央にある海軍所有のフォード島と、その付近に配備されていた7隻の戦艦だった。

 わずか数分のうちに、米国艦隊の大部分が攻撃を受けた。第一波と第二波に分かれた日本の航空機353機と28隻の潜水艦は、戦艦オクラホマとアリゾナを修復不可能なまでに破壊し、残りの全ての戦艦とその他の艦船にも損傷を与えた。また、近くの飛行場も攻撃された。

 不意打ちを食らった米軍は、全く反撃しなかったわけではない。地上から高射砲で応じ、戦闘機も発進させ、全体で日本軍の航空機29機を撃ち落とした。

 この攻撃で、2400人近い米国人が命を落とした。そのうち半分近くは、船体に直接攻撃を受けた戦艦アリゾナの死者だった。船には38組の兄弟が配属され、なかには3人兄弟も何組か含まれていたが、そのうち生存したのは1組だけだった。(参考記事:「真珠湾攻撃から75年、戦艦アリゾナを巡る物語」

ある平和な日曜日の朝、真珠湾の一カ所に集まっていた米海軍の艦船。攻撃の直前、日本人の写真家が撮影した。(PHOTOGRAPH VIA ASSOCIATED PRESS)
ある平和な日曜日の朝、真珠湾の一カ所に集まっていた米海軍の艦船。攻撃の直前、日本人の写真家が撮影した。(PHOTOGRAPH VIA ASSOCIATED PRESS)
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