発掘される『若草物語』以外の作品
小説の成功によってオルコットは家族を養えるだけの収入を得たものの、「子どものためのつまらない訓話」(と本人が評した)を書くという役割は、フェミニストとしての彼女にとって窮屈なものだった。1879年、オルコットは投票権を求めるコンコードの女性たちの団体に参加、条件付きながら初めて選挙権を行使した。その後も生涯、女性の完全な参政権を求めて活動している。
「彼女は常に偉大な小説を書くことを熱望し、自分が成功したとは思っていませんでした」と、『若草物語』に時代背景の注釈を加えた 『Little Women: An Annotated Edition』の編集者である米ノースカロライナ大学シャーロット校のダニエル・シーリー氏は言う。
1940年代、ニューヨークで古書店を営むマドリン・スターンとレオナ・ロステンバーグが、オルコットが書いたペンネームや匿名での文章を発見した。その結果、オルコットは20歳で初めて散文小説を発表した1852年から1888年に亡くなるまでの間に、約210編に及ぶ詩やスケッチ、物語、連載などを書き、約40の雑誌類に掲載されていたことがわかった。
オルコットはまた、『若草物語』を書く前の10年間に、A.M.バーナードの名で約30点のゴシック・スリラー小説を発表していた。これらの作品は、彼女が「血と雷」の物語と呼んだように、情熱と復讐に満ちたものだ。「私が本来書きたいのは、ゾッとするようなものだと思う」と友人に打ち明けている。
1866年、オルコットは『愛の果ての物語(A Long Fatal Love Chase)』を執筆した。冒頭でヒロインが悪魔と契約を交わす、愛と執着の物語だ。「1年の自由のためなら、私は喜んで魂をサタンに売ってしまうような気がしている」という語りが登場する。
当時はボツとなったこの小説は、1995年にようやく出版され、ベストセラーとなった。オルコットは『若草物語』の作者以上の存在として認識されるようになっているのだ。「彼女の作品群は、今やアメリカ文学の規範として確立されています」。シーリー氏はそう締めくくる。「作家としての評価は高まるばかりです」
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