『若草物語』の著者オルコットの生涯、その葛藤と意外な作品

世界に愛された4姉妹の物語のほか、「ゾッとする」物語も

2021.12.16
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
小説家ルイーザ・メイ・オルコットの写真。1880年代に撮影。(BRIDGEMAN/ACI)
小説家ルイーザ・メイ・オルコットの写真。1880年代に撮影。(BRIDGEMAN/ACI)
[画像のクリックで拡大表示]

 南北戦争時代の米国マサチューセッツ州を舞台に、マーチ家の4姉妹、メグ、ジョー、ベス、エイミーを描いた『若草物語(Little Women)』。1868年に出版された心温まるこの小説は推定1000万部を売り上げ、50カ国語に翻訳された。また、2つの続編が書かれ、舞台、多数の映画、10以上のテレビ番組、ブロードウエーミュージカル、オペラなどにもなっている。

 著者ルイーザ・メイ・オルコットは米国で最も売れ、最も愛される作家の一人となった。「子どもの友」として知られるようになり、生涯にわたって小説を書き続けたが、初期にはかなり作風の異なる意外な作品もあった。

貧しくとも知性を育んだ環境

 オルコットは1832年、ペンシルベニア州フィラデルフィア近郊に4人娘の次女として生まれた。知識階級だが、経済的には苦しい家庭だった。父親のブロンソン・オルコットは教育改革者で、自己修養や普遍的な兄弟愛、自然との融合を信じる超絶主義と呼ばれる思想を信奉していた。

 理想は高いものの現実には疎かったブロンソンは、一家が食べるのに困らないような収入を得られず、家庭を守っていたのは母アビゲイルだった。奴隷制度の廃止を支持し(オルコット夫妻は奴隷解放に取り組む秘密組織「地下鉄道」とともに、逃亡してきた奴隷をかくまっていたとみられる)、女性の権利を擁護する人物だった。(参考記事:「「米国紙幣初の黒人女性」はどんな人?」

 貧しかったにもかかわらず、オルコットは豊かな知性を育むことのできる子供時代を過ごした。8歳の頃、一家はマサチューセッツ州コンコードへ移り住む。そこでオルコットは、父の友人であり超絶論者の代表格であるヘンリー・デビッド・ソローとラルフ・ウォルドー・エマーソンという素晴らしい指導者に出会う。

 オルコットはソローが開いた学校に通ったが、そこでの授業といえば、この偉大なナチュラリストと一緒に森を散策することだったのかもしれない。また、隣に住んでいたエマーソンは、自宅の書庫を開放してくれた。オルコット自身は現実主義者だったため、超絶主義の高尚さを完全に支持することはなかったが、自立と個性を重視する考え方には影響を受けた。

1869年に出版されたロバーツ・ブラザーズ版『若草物語』の表紙。(ALAMY/ACI)
1869年に出版されたロバーツ・ブラザーズ版『若草物語』の表紙。(ALAMY/ACI)
[画像のクリックで拡大表示]

 オルコットは個人の自由を重んじており、女性を家庭に閉じこめようとする当時の考え方に抵抗した。一方で、困窮する家族の面倒を生涯にわたってみることになった。彼女は父親宛ての手紙で、作家としての目標は「オルコット家に生まれながらも自分を養うことができる」と証明することだと書いたこともある。

 20代前半の頃にはすでに匿名やペンネームでの執筆活動を行っていた。その後、1862年、30歳のときに南北戦争で看護師として従軍した後、『病院のスケッチ』を書いて翌年に出版した。

 出版を担当した一人トーマス・ナイルズはこの本を高く評価し、1867年、少女向けの小説を書かないかと誘った。オルコットは同時に若者向けの雑誌『メリーの博物館(Merry’s Museum)』の編集を依頼されていた。いずれの仕事も引き受けたオルコットは、現在知られているような、より大人向けの路線を捨てることとなった。

次ページ:4姉妹の物語

ここから先は「ナショナル ジオグラフィック日本版サイト」の
会員の方(登録は無料のみ、ご利用いただけます。

会員登録(無料)のメリット

  • 1ナショジオ日本版Webの
    無料会員向け記事が読める
  • 2美しい写真と記事を
    メールマガジンでお届け

おすすめ関連書籍

Women ここにいる私

あらゆる場所の女性たちの、思いもかけない生き方

130年におよぶ時代・場所・境遇を横断して、驚くほど多様な女性像を描きだす。〔日本版25周年記念出版〕

定価:3,960円(税込)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加