膵臓(すいぞう)がんを専門とするフィリス・ナポレス氏が手術をするときには、患者の病状は進行しており、予後も悪いことがほとんどだ。しかし、2020年10月に米カリフォルニア州のサッターヘルス病院で手術をした例は、これまでと違っていた。
退職した自動車セールスマンである76歳のジム・フォード氏は、血液による新しいがんスクリーニング検査の治験に参加し、ステージ2の膵臓がんと診断されて驚いた。多くの膵臓がん患者とは異なり、彼には何の症状もなく、つい1週間前にもゴルフに出かけたばかりだったからだ。
膵臓がんがこれほど早期に発見されることはまれだ。ナポレス医師によると、膵臓がんは症状が出てからの生存率は3%と低く、治療不可能な場合も多いという。しかし、フォードさんの腫瘍はまだ親指大で、完全に取り除くことができた。
1年後、手術と放射線治療と化学療法を終えたフォードさんは、がんとは無縁の生活を送っている。彼の経験は、新世代の血液検査によって、人々がより多くの種類のがんから生還できる日がくることを期待させる。
「私のキャリアの中でこんな変化が起こるとは思ってもみませんでした」と、医学部を卒業したのが2006年とまだ若いナポレス医師は語る。「膵臓がんの生存率や検出率に関するすべての統計が一変するでしょう」
遺伝子解析と人工知能の技術的進歩を利用して、血流中に微量に存在するがんのシグナルを検出する血液検査は「リキッドバイオプシー(液体生検)」とも呼ばれ、現在、10社以上の企業が研究開発を進めている。これらの検査の有用性が確認されれば、その需要は膨大なものになる。米国の非営利シンクタンク「情報技術イノベーション財団(ITIF)」の推計によると、この種のがん検出技術の潜在的な市場規模は60億ドル(約7000億円)以上で、4年後の2025年には約3倍になると予想されている。(参考記事:「遺伝子検査で医療はどこまで進歩するのか」)
実は、医師たちは治療法を決定したり、治療後の再発の有無を判断したりするために、リキッドバイオプシーをすでに利用している。対してスクリーニング検査は、がんと診断されたことのない人のがんを発見しようとするものだ。
米国では現時点で、臨床試験以外で受けられるリキッドバイオプシーによるがんのスクリーニング検査は、フォードさんのがんを見つけた「ギャラリー(Galleri)」だけだ。米カリフォルニア州のヘルスケア企業グレイルが開発したこの検査は、1回分の血液サンプルから50種類のがんを検出できるというもので、がんのリスクが高い人が医師の処方によって受けられる。英国でも、大規模な臨床試験を行うため参加者を募集している。
新しいスクリーニング検査の目的は、症状が現れる前のがんを早期に発見して、人々の命を救うことにある。特に期待されるのは、現状では信頼できるスクリーニング検査がない種類のがんの発見だ。
米国では現在、5種類のがん(乳がん、大腸がん、前立腺がん、子宮頸がん、肺がん)については、血液検査やマンモグラフィーなどによりスクリーニングを行うことができる。しかし、米国では毎年約60万人ががんによって死亡しており、その3分の2以上が、良いスクリーニング方法がないがんによって命を落としている。こうしたがんは、通常、転移するまで発見されない。
とはいえ懸念もある。偽陽性になって、リスクの高い不必要な追加検査が行われてしまったら? 治療が必要なほど進行しない可能性がある、ごく早期のがんが発見されたら? 有効な治療法のないがんが発見されたら? 人々が医師の監督なしに検査を受けてしまったら? 陽性という結果を確認するのに、身体への負担が大きい手術をするしか方法がない場合はどうすればよいだろう?