兵馬俑<br><span style="font-weight: normal; ">紀元前210年</span>
兵馬俑
紀元前210年
秦の始皇帝に死後も仕えるよう、陵墓のそばには実物大の兵士や従者の像が副葬されていた。1974年に農夫が発見したのを皮切りに、約8000体の兵士像のほか、馬や二輪戦車、曲芸師、楽師の像なども見つかった。(PHOTOGRAPH BY O. LOUIS MAZZATENTA)
この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2021年11月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

過去2世紀ほどで、人類の歴史に対する理解は一気に深まった。そのきっかけとなったのが、考古学という学問分野の誕生だ。世界各地で遺跡や遺物が次々に発掘され、調査の手法や技術が進歩するにつれて、先人たちの物語が解き明かされてきた。

 財宝探しに取りつかれた人は数知れない。富を手に入れた人も少数いたが、多くは狂気の淵に追い込まれた。

「秘宝探しに生涯のほぼすべてを懸ける男たちがいる」。英国の旅行家メアリー・エライザ・ロジャーズは19世紀半ばにパレスチナを訪れた後、そう書いた。「なかには正気を失い、妻子を捨て、しばしば家から家へ、村から村へと物乞いをして歩くほど困窮しているのに、自分は富豪だと思い込んでいる者までいる」

 ロジャーズが出会った秘宝ハンターたちは、皆が皆、追い詰められた物乞いだったわけではない。サヒリと呼ばれる人たちもいた。これは言ってみれば降臨術師のようなもので、「土に埋もれた物体が見える特殊な能力がある」と考えられていた。この能力があるとされるのはたいがい女性で、神がかった状態になって財宝が隠されている場所を詳細に言い表したと、ロジャーズは書いている。

 考古学の誕生で、こうした「土に埋もれた物体」がただのお宝から、知られざる過去をのぞき見る格好の手段になった。

 ロジャーズの時代に登場した考古学は初めのうち、昔ながらの盗掘と大差なかった。欧州列強の考古学者や探検家は競って、遠隔地から運ばせた彫像や宝飾品で自宅の飾り棚を埋め尽くした。それでも、新たな学問分野の誕生で未曽有の発見の時代が到来し、人類の豊かな多様性ばかりか、人類共通の特性についても理解が大いに深まった。

 それが誇張だと言うなら、考古学のない世界を想像してみてほしい。贅(ぜい)を尽くしたポンペイも、トラキアの黄金細工もなければ、密林にそびえるマヤの都市国家もない。

ポンペイとヘルクラネウムの最後の瞬間<br><span style="font-weight: normal; ">79年</span>
ポンペイとヘルクラネウムの最後の瞬間
79年
イタリアのポンペイを訪れた観光客が、ベスビオ山の大噴火の犠牲者に見入る(1981年撮影)。この噴火で古代ローマの二つの街が火山灰に埋まった。1924~61年にポンペイの発掘調査を率いた考古学者アメデオ・マイウリはこう書く。「遠い過去の薄暗がりの中から突然、死の瞬間をとどめた人間が眼前に現れた」(PHOTOGRAPH BY DAVID HISER)

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