フロベニウスはこれらの像を賞賛していたにもかかわらず、それがアフリカ人によって作られたものであることを受け入れなかった。フロベニウスは人種差別主義的な思考から、ギリシャの伝説の島アトランティスの末裔がギリシャ文明をアフリカにもたらし、それがヨルバ族の芸術に見られるという「トンデモ説」を生み出した。頭像が表していると思われるヨルバ族の神オロクンは、ギリシャの海神ポセイドンなのだ、と彼は言った。
オロクンの頭には「ギリシャを彷彿とさせる対称性と生命力があり、かつてこの地にニグロ(黒人)よりもはるかに優れた系統の民族が定住していたことを証明している」とフロベニウスは書いた。20世紀初頭のヨーロッパでは一般的だった考え方だ。
ナイジェリアの考古学者エクポ・エヨ氏は後に、当時の西欧文明に内在する先入観を次のように指摘している。「前世紀までのヨーロッパの権力者たちは、人類を西欧と非西欧の2つの異なるグループに分けようとした。……これらのことが学者のマインドをあまりにも曇らせたため、長い間、実に20世紀後半に至るまで、アフリカの芸術は人類の創造の歴史の中に正しく位置付けられることがなかった」
アフリカ文化への偏見を覆す
オロクンの頭は返還後に消失してしまったため、作られた年代をはっきりと知ることはできない。学者たちは1350年頃のものではないかと考えている。
ヨーロッパの学者たちはさらなる銅像を探しに再びイフェを訪れた。祭祀場からは多数の素焼きの頭像が発掘され、その多くが博物館に持ち込まれた。
最も重要な発見があったのは1938年で、10数個の頭像が発見された。これらはオロクンの頭と同じく、銅合金で作られていた。発見された像の多くはイフェの考古博物館で見ることができる。1948年には、これらの頭像がアトランティスから来た人々ではなく、ヨルバの職人たちの作品であると、考古学者たちも認めるようになっていた。
イフェの頭像は、アフリカには「原始的」な芸術しかないという偏見を覆すのに重要な役割を果たした。1948年に大英博物館で開催されたこれらの像の展示を、ロンドンの新聞は次のように評した。「このアフリカの芸術は、イタリアやギリシャの最高級の作品に匹敵する価値がある」
研究の結果、威厳あるこれらの像は神ではなく、ヨルバの王国の支配者「オニ」であることがわかった。裕福なオニは、サハラ砂漠からヨーロッパへのルートで金や象牙を取引し、作品の材料となる金属を手に入れていた。ヨルバの人々にとって、頭像は単に美しいだけのものではない。彼らの信仰において、頭には、魂が座し、人の運命を決定する「オリ」が宿っている。
頭像を始め、イフェで作られた品々には深い精神的・宗教的な意味があるため、多くのナイジェリア人が頭像の返還を主張している。アフリカの文化的な遺物は元の土地に返されるべきかという幅広い議論があるが、これもその一環だ。