1900年頃、研究所で顕微鏡をのぞき込むロベルト・コッホ。(SÜDDEUTSCHE ZEITUNG PHOTO/AGE FOTOSTOCK)
1900年頃、研究所で顕微鏡をのぞき込むロベルト・コッホ。(SÜDDEUTSCHE ZEITUNG PHOTO/AGE FOTOSTOCK)
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 結核は、何千年にもわたって人類を苦しめてきた。インドでは3300年前、中国ではその1000年後に、結核の存在が文献に記されている。古代ギリシャの医者、ヒポクラテスは「当時流行していた病気の中で最も重大なもの」と呼んだ。1680年、英国の作家ジョン・バニヤンは、結核を「死をもたらすあらゆる者の中の船長」と位置づけた。(参考記事:「ヨーロッパ人の1/3が死んだ「黒死病」、歴史の教訓」

 19世紀の欧米では結核が猛威をふるい、7人に1人が死亡したと推定されている。プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』、ドストエフスキーの小説『罪と罰』、ムンクの絵画『病める子』など、当時の偉大な芸術作品のなかでも取り上げられたように、結核は社会に大きなショックを与えた。

 1882年3月24日、人類の結核との闘いは、ベルリンの生理学協会の小さな会議室で転機を迎えた。38歳の医師であり微生物学者でもあるロベルト・コッホが、200以上の顕微鏡標本を用いて、結核の原因となる細菌「結核菌」を発見したのだ。彼の目覚ましい業績の最後を飾ったこの発見により、コッホは、感染症との長い闘いにおける貢献をたたえられ、ノーベル賞を受賞した。

最初の成功

 1843年、コッホはプロイセン王国の鉱山町クラウスタール(現在のドイツの一部)で13人兄弟の3番目として生まれた。活発で頭が良く、好奇心旺盛な子どもだった。5歳のときには、家にあった新聞を使って独学で読むことを覚えたという。

 ゲッティンゲン大学で医学を学んだコッホは、1866年に博士号を取得。複数の病院で働きながら、1867年には結婚、1868年には父親になった。1870年、普仏戦争時にはプロイセン軍の外科医に志願した。

 終戦後、コッホは現在のポーランドのヴォルシュティンで地域担当医の職に就いた。患者の多くは農民で、家畜を死に至らしめる炭疽症にかかっていた。4年間で528人と、5万6000頭の動物がこの地域で亡くなった。

 コッホは忙しい診療の合間を縫い、診療所に仮設の実験室を作って炭疽症の謎解きに挑んだ。

次ページ:炭疽菌の発見

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