ハワイにあった日系人強制収容所 市民の力で一般公開へ

迫害の歴史を伝える史跡と、長く忘れられていた日系米国人の勇気ある行動

2021.09.24
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ホノルルのワイアラエビーチに打ち寄せる波。このすぐ近くに、日系人強制収容所があった。(PHOTOGRAPH BY MICHELLE MISHINA KUNZ)
ホノルルのワイアラエビーチに打ち寄せる波。このすぐ近くに、日系人強制収容所があった。(PHOTOGRAPH BY MICHELLE MISHINA KUNZ)
ホノルルにある日蓮宗の寺で祭りの準備をする僧侶。(PHOTOGRAPH BY MICHELLE MISHINA KUNZ)
ホノルルにある日蓮宗の寺で祭りの準備をする僧侶。(PHOTOGRAPH BY MICHELLE MISHINA KUNZ)

 第二次世界大戦前、ハワイには180以上の神社や寺があった。戦時中は、これらも日本文化と宗教の象徴として、攻撃の対象になった。『American Sutra: A Story of Faith and Freedom in the Second World War』(アメリカンスートラ:第二次世界大戦中の信仰と自由の物語)の著者ダンカン・リュウケン・ウィリアムズ氏は言う。「仏教徒であったり、キリスト教を信仰していない人々は、米国人ではないとか、アンチ米国人であると見なされていました」

 一部の神社仏閣は軍に収用されたり、襲撃、略奪、放火の被害を受けた。兵士たちが仏像を射撃練習の標的にしたり、川に投げ入れたりしたという報告もある。宗教的指導者たちは刑務所に入れられ、寺の保護と維持は、残された日本人の妻や年老いた僧侶、白人僧侶たちに委ねられた。

日系二世による部隊

 終戦後、スパイとして有罪判決を受けた日系人は一人もいない。それどころか、数十年後に、真珠湾攻撃前のハワイ在住日本人によるスパイ活動を疑った軍の情報は、でっち上げだったことを示す報告書も見つかっている。

 米陸軍省が1943年に、全員が日系二世から成る部隊の結成を発表すると、多くの二世が入隊を志願した。彼らは第442連隊戦闘団と第100歩兵大隊として、フランス、イタリア、北アフリカで勇敢に戦った。(参考記事:「人種差別とも祖先の国とも戦った、米国日系二世の第二次世界大戦」

 戦場で、二世たちが尊い犠牲を払ったことはハワイにも伝えられ、これが1945年に軍による日系人への制限緩和につながったのだろう。さらに、1959年にハワイ準州が正式に米国の州に昇格したことにも、二世の忠誠心が役割を果たしたとされている。ハワイの史跡を管理する団体「パシフィック・ヒストリック・パークス」の広報責任者ジム・マッコイ氏は「不信の目で見られ、差別されてきた彼らの勇気ある行動が、ハワイを州として認めるべきであると議会を説得する大きな要因になったと考えられています」と話す。

 1988年、ハワイ出身の日系退役軍人であるスパーク・マツナガ米上院議員とダニエル・イノウエ上院議員の尽力により、市民自由法が議会で可決され、米国政府は日系米国人へ対して謝罪した。多くの日系人にとってこの公式謝罪は、過去の汚名をそそぎ、いやしのプロセスを始める機会となった。

キラウエア米軍キャンプ。(PHOTOGRAPH BY MICHELLE MISHINA KUNZ)
キラウエア米軍キャンプ。(PHOTOGRAPH BY MICHELLE MISHINA KUNZ)

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文=RACHEL NG、写真=MICHELLE MISHINA KUNZ/訳=ルーバー荒井ハンナ

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