2001年12月、タリバン政権が最後の拠点を追われた翌日、アフガニスタン南部の都市カンダハルに一番乗りした記者団の中に、私(現在はナショジオの編集者のインディ・A・R・ラクシュマナン)も紛れていた。
悪名高きアルカイダの訓練場レワ・サーハディは、爆撃を受けて廃墟と化していた。地雷を踏まないよう慎重に歩みを進め、アルカイダが残していった大学ノートを拾い上げてみると、そこにはアラビア語と2つのアフガニスタンの言語で、敵の奇襲法や、肥料と燃料油を使った爆弾の製造法などが書かれていた。
夜はカンダハル知事邸の離れの建物に泊まった。家具が何も置かれていない部屋の、床の上でじかに眠り、過酷な抑圧的支配の終焉を祝うアフガン国民について記事を書き、衛星電話を使って故郷へ送信した。
イスラム原理主義のタリバン政権下にあったアフガニスタンは、その年の9月11日、米国で同時多発テロを起こしたアルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンをかくまっていたとして、米軍による空爆を受けていた。CIAと米軍に助けられた同盟軍がタリバン政権を倒すまでには2カ月以上かかったが、それでも当時はあっという間の出来事だったように感じられた。
20年間で17万人以上の人命が失われた
ところがあれから20年。勢力を取り戻したタリバンがカンダハルとその他の州都を制圧し、首都カブールを手中に収めるまでにかかった期間は、わずか2日だった。
2021年初めにバイデン米大統領が、同時多発テロから20周年を迎える9月11日までにアフガニスタンから米軍を完全撤退させると表明すると、タリバンは早速国内各地でその触手を伸ばし始める。地方から包囲網を築き、容赦なく都市に迫り、数の上では上回っていたアフガン軍を追い出しにかかった。
その結果、アフガン全土はいとも簡単にタリバンの手に落ちた。
米ブラウン大学の戦争経費プロジェクトによると、過去20年間で米国はアフガニスタンに2兆ドル(約220兆円)以上の税金を注ぎ込み、アフガニスタン人を中心に17万人以上の人命が失われたという。全ては、タリバンやそれ以前の支配権力よりも民主的で、平等を重んじ、多くの人に開かれた政権の樹立を助けるためだった。
それだけの高い代償を支払った後に残ったものは何か。
8月15日、米国の後ろ盾を受けていたアシュラフ・ガニ大統領が国外へ脱出した後、町は混乱に陥り、銃弾が飛び交った。恐怖にかられた住民たちは、銀行の預金を全て引き出して国外へ逃れようと奔走している。報道によれば、女性や市民リーダーたちは、「懲罰」の脅しを受けているという。米国は、大使館職員を退避させるために軍を派遣し、まるでベトナム戦争末期のサイゴン陥落を彷彿とさせる事態になっている。
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