今年2021年、米カリフォルニア州ロサンゼルスは、米国史上まれにみる大量リンチ事件の発生から150年を迎える。1871年10月24日、ロサンゼルスで500人の暴徒が中国人居住区を襲い、住民たちが銃で撃たれ、刃物で刺され、即席の絞首台に吊るされ、19人の命が奪われた事件だ。
リンチと言えば、南北戦争後の米国南部でアフリカ系米国人が多く犠牲になったことが思い出される。だが人種に基づく憎悪は、南部の黒人差別だけではない。(参考記事:「米黒人拘束死事件は「現代のリンチ」だ、根底に暴力の歴史」)
1871年についていえば、標的にされたのがロサンゼルスに暮らす中国系移民だった。この事件をはじめ、19世紀の米国西部では、アジア人に対する激しい暴力が巻き起こった。現代にいたってもなお、その余韻は完全に消え去ってはいない。
ゴールドラッシュで中国からの移民が急増
中国からの移民は、米国の土を踏むとすぐに暴力の標的にされた。1850年、ゴールドラッシュが始まる頃、遠く中国からカリフォルニアへやって来た人々は、掘り当てた金脈を白人鉱夫に奪われ、さらに州議会からは外国人鉱夫税を課せられるという憂き目に遭う。
またアフリカ系米国人や先住民と同様、中国人も、州の裁判所で白人に対立する証人となることは認められていなかった。こうした背景もあって、州で中国人に対する暴力が発生しても、その多くは処罰されることがなかった。
中国人に対する憎悪の背景の一つに、自分たちの仕事が中国人に奪われるのではという白人たちの不安があったと考えられている。確かに1870年までに、カリフォルニア州の人口のおよそ10%、労働力の4分の1が中国系移民で占められていた。白人労働者は、中国人の集団を目にするたびに、自分たちの生活が脅かされているように感じた。実際にはそこまでの脅威に達することはなかったが、それにもかかわらず、白人たちは中国人を雇用する鉄道会社や牧場主に対して抗議運動を起こした。
南北戦争(1861~1865年)の直後、クーリー(苦力)と呼ばれる中国からの出稼ぎ労働者に対して組織立った反対運動が展開され、反クーリークラブと呼ばれる集まりが数多く誕生した。そのうちの一つ「セントラル・パシフィック反クーリー協会」は、中国からの移民禁止を求める運動を起こし、白人自警団による暴力を弁護することもあった。
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