調査チームを乗せた潜水鐘(しょう)は、はしけに設置した居住室から、毎日、海底に下りていく。フランスのカシ沖の水深68メートル地点では、タラ科の一種が餌を探して泳ぎ回っていた。(PHOTOGRAPH BY LAURENT BALLESTA)
この記事は、雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2021年5月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

ロラン・バレスタたち4人の調査チームは、密閉された狭苦しい居住室に1カ月近く滞在しながら、地中海各地の海底に潜り続けた。そこで目にしたのは、驚くべき海の生物と人間活動の爪痕だった。

 フランス南部、地中海のすぐそばで私は子ども時代を過ごした。

 時がたち、地中海は私の仕事の拠点となった。そして、おびただしい数の観光客が訪れる地中海沿岸が、際限なく続く開発ですっかり荒廃していく様子を目にしたものの、水深50メートルを超える深い海の世界はまだ無傷に見えた。と言っても、最近まで、海底をじっくり観察したことはなかった。スキューバダイビングをする場合、そうした深い海からは4~6時間かけて水面に上昇しなければならない。ゆっくりと浮上し、水圧の変化に体を慣らさないと、減圧症(潜水病)で命を落とす危険がある。そのため、海底に滞在できる時間はせいぜい5~10分ほど。あまりに短過ぎて、もどかしかった。

水深78メートル
北大西洋や地中海の海水浴客は、オキクラゲを見ると逃げる。触手を含む全身に刺胞という毒針をもつが、ラ・シオタ沖で遭遇したこの個体は、ツノサンゴ類の棘(とげ)に刺されて体がまひしていた。(PHOTOGRAPH BY LAURENT BALLESTA)

 2019年7月、私たち4人のチームは、この常識を変えた。地中海に浮かぶはしけに、密閉された狭苦しい居住室を設置し、この居住室を加圧してヘリウムと酸素の混合ガスで満たした。その中で28日間を過ごしたのだ。そして毎日、そこから釣り鐘型の潜水器「潜水鐘」に乗って海底に下りていった。

 これは沖合油田などで行われている飽和潜水と同じ原理だ。ただ、飽和潜水をするダイバーが潜水鐘とケーブルでつながっているのに対し、私たちは呼気を再利用する循環式呼吸装置のリブリーザーなど、スキューバダイビングの器材を装着することで、何時間もの間、海底を自由に動き回れた。

 潜水鐘と居住室は、海底と同じく、地上の13倍の圧力が保たれているので、海底から浮上するたびにいちいち減圧する必要はなかった。その代わり、探査がすべて終わった後に5日間近くかけて一度だけ減圧してから、居住室のハッチを開け、再び外の空気を吸ったのだ。

水深3メートル
サポートメンバーのセドリック・ジャンティが、はしけの底で逆さまに浮かぶ。丸く開いた穴は、潜水鐘用の出入り口だ。居住室および潜水鐘の内部の気圧を海底と同じにすることで、潜水ごとに長時間の減圧を行わずに済む。(PHOTOGRAPH BY JORDI CHIAS)

 2019年7月1日、マルセイユ沖。ダイビングスーツを着た私たちは、初めて潜水鐘に乗り込んだ。背後でハッチが音を立てて閉じられる。いよいよ最初の潜水だ。まるで月に向かう宇宙船の中にいるみたいだった。海底に着き、潜水鐘の底にある出入り口のエアロックから外に泳ぎだしたときの気分は最高だった。地上とつながるものが一切ないまま、深い海に潜っているのだ。振り返ると、青い海の中で潜水鐘が徐々に見えなくなった。初回は約70メートルまで潜り、潜水鐘から遠ざからないようにした。

 何千年も前から、人間は地中海を行き来してきたが、海底に関しては、詳細な地図がつくられている月面よりも知られていない。そして月と違って、そこは生命に満ちた世界だ。私たちはカランク国立公園の海をさまよった。最初の潜水では、私がかつて一度見たきりの生き物に遭遇した。ヨーロッパオオヤリイカだ。2匹が目の前で交接していた。雄が雌の下に入って、触腕をからませる。雄は精子をもつ交接腕を雌の外套膜にすべり込ませた。数秒後、雌は小さな洞穴に入ると、天井に受精卵の固まりを産みつけた。

 私の知る限り、ヨーロッパオオヤリイカの交接の様子が撮影されたのは、これが初めてだ。探査初日から、幸先がよさそうだった。

水深68メートル
マルセイユ沖での初潜水で、バレスタは貴重な場面を目撃した。ヨーロッパオオヤリイカが触腕をからませながら交接していたのだ。下側で決定的瞬間を待っているのが雄。(PHOTOGRAPH BY LAURENT BALLESTA)
水深68メートル
海底に生息するマトウダイは大きく開く口で小魚やコウイカ、エビをのみ込む。フランス語でサン・ピエールと呼ばれる魚で、リビエラのレストランの人気メニューだ。(PHOTOGRAPH BY LAURENT BALLESTA)

次ページ:移動距離は550キロメートル、21地点で潜水

ここから先は、「ナショナル ジオグラフィック日本版」の定期購読者(月ぎめ/年間のみ、ご利用いただけます。

定期購読者(月ぎめ/年間)であれば、

  • 1 最新号に加えて2013年3月号以降のバックナンバーをいつでも読める
  • 2ナショジオ日本版サイトの
    限定記事を、すべて読める

おすすめ関連書籍

2021年5月号

私たちが知らないクジラの世界/地球は海の惑星/サンゴ礁に美しい未来を/地中海に潜り続けた28日/深海の謎に挑む探求者

5月号は「海の世界」を総力特集。独自の方言や習性をもつ集団がいることが最新の研究で分かってきたクジラ。「私たちが知らないクジラの世界」で詳しくレポートします。ほか、地図やグラフィックで世界の海が一目でわかる「地球は海の惑星」、タイタニック号を見つけたロバート・バラードの半生を描く「深海の謎に挑む探求者」など、特別編集号でお届けします。

定価:1,210円(税込)