魂の歌姫 アレサ・フランクリン

米国の音楽と文化を象徴する存在。人々は彼女を「ソウルの女王」と呼んだ

2021.03.26
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1967年に撮影されたアレサ・フランクリン。彼女の音楽のルーツであるゴスペルに触発され、写真家は照明で瞳に光輪を浮かび上がらせた。(PHOTOGRAPH BY ART KANE)
この記事は、 雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2021年4月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。アレサ・フランクリンの生涯を描いたドラマ「ジーニアス:アレサ」は、2021年夏にナショナル ジオグラフィック(TV)で放送予定。

音楽の天才として生まれたアレサ・フランクリン。内なる悲しみを歌にこめ、人々の魂をふるわせる。

 それは彼女がまだ弱冠24歳のときのこと。

 アレサ・フランクリンは、何か考え込んでいる様子だったが、それでいて落ち着いた足取りで姿を現した。パリッとのりの利いた白いシャツを着て、黒い髪をふんわりとセットしている。ここは米国アラバマ州マッスルショールズの伝説的なレコーディング・スタジオ「フェイム」。1967年1月の出来事だ。

 フランクリンは気後れもせず、毅然とした態度でレコーディングに臨んだ。「ソウルの女王」と呼ばれ、米国の音楽と文化を象徴する存在になる前のことだ。ほとんど名の知られていない謎めいたこの歌手を、スタジオミュージシャンたちはどう扱っていいかわからなかった。今では想像もできないが、このとき彼女は1曲でもいいからメジャーヒットを出したいと必死だった。

 それまでの6年間、フランクリンはコロンビア・レコードから地味なジャズナンバーのレコードを出したが、さほどヒットしなかった。アトランティック・レコードに移籍した今、プロデューサーのジェリー・ウェクスラーは彼女のルーツ、あふれる喜びや秘めた悲しみを歌うゴスペル音楽の表現力を前面に出したいと考えていた。

 フェイム・スタジオは米国南部の新しい音楽R&B(リズム&ブルース)の本拠地で、数々のヒット曲がここから生まれていた。だが、スタジオミュージシャンたちは、この若い女性に合う音がどんなものか、確信がもてずにいた。フランクリンは無駄話もせず、ミュージシャンたちを呼ぶときは苗字に「ミスター」を付け、彼らは彼女を「ミス・フランクリン」と呼んでいた。

 フランクリンはピアノの前に座った。牧師の娘としてミシガン州デトロイトで育った彼女は、楽譜が読めず、正式な音楽教育も受けていなかったが、ピアノを弾いて歌うことで、その天才的な資質が引き出された。すでに歌声は並外れて力強く、なめらかだったが、さらにピアノが加わることで、この上ない輝きを放った。

 彼女は歌い始める前にまず力強くコードを弾き、背筋を伸ばしてスタジオ内を見回すと、唇を舌でぬらした。そこにいた誰もが息をひそめた。

初めて売り上げ100万枚を超えたシングル曲「貴方だけを愛して」のレコーディングで、フランクリンが弾いたピアノ。今はフェイム・スタジオの幹部の自宅に置かれている(PHOTOGRAPH BY ELIAS WILLIAMS)

 それはむき出しの感情が爆発するような歌唱だった。この日の彼女の歌は絶妙だったと関係者は振り返る。愛と憎しみのすべてをぶつけるように激しく鍵盤をたたき、声を抑えて悲しみを表現したかと思えば、教会にいるかのように、あふれる思いを高らかに歌い上げた。このときレコーディングされた曲「貴方だけを愛して」で、フランクリンは一躍スターダムにのし上がった。

 スタジオにいた男性たちに聞けば、彼女はそれまでに見たことも聞いたこともないような歌手だったと答えるだろう。その力強い声、表現力、魂(ソウル)という形のないものを導く才能は、素晴らしいとしか言いようがない。

「あの日のことは今でも鮮明に覚えていますよ」と、伝説的なオルガン奏者でソングライターでもあるスプーナー・オールダムは言った。ボブ・ディランなどの数々の一流アーティストと仕事をしてきた彼にとっても、フランクリンとの初めてのレコーディングは特別な体験だったという。

「事前の打ち合わせや計画などなしに、ただピアノを弾き始めたんです。これはすごい人と組むことになると思いました」とオールダムは話す。「魂がふるえる、喜びと悲しみに満ちたその声を言葉で表現するのは難しく、あらゆる形容詞が必要です。彼女は比類のない存在。その場で確信しましたよ。音楽の天才だ、と」

 フランクリンはこのときレコーディングした曲を皮切りに、売り上げ100万枚を超える作品を次々と世に出すことになる。

「レコーディングを終えたときには、そこにいた誰もがヒットを確信していました」と、フェイム・スタジオの共同設立者リック・ホールの息子、ロドニー・ホールは話してくれた。

フェイム・スタジオでリハーサルをするスプーナー・オールダム(中央)。彼はフランクリンが1967年にここでレコーディングしたときのスタジオミュージシャンだった。(PHOTOGRAPH BY ELIAS WILLIAMS)

弱者の思いを伝える歌声

 フランクリンは時に激しく心の痛みを歌うが、この後に起きた出来事が、その背景の一端をうかがわせる。スタジオ内でもめ事があり、レコーディングが突然打ち切られたのだ。

 きっかけは、フランクリンの夫でマネジャーのテッド・ホワイトが、自分の妻になれなれしくしたと、トランペット奏者に文句をつけ、解雇するよう要求したことだった。その夜、フランクリンが泊まったホテルのバルコニーで、リック・ホールとホワイトがつかみ合いのけんかになったという。

 この騒ぎに、フランクリンの私生活が垣間見える。彼女はつらい体験を歌に昇華させ、そこにソウルを吹き込んだ。その歌は、音楽のジャンルを超え、時代や世代や文化を超えて、あらゆる人々の胸に響いた。このアラバマ州での夜を境に、フランクリンは何十年もポピュラー音楽を牽引し、ソウルミュージックに新たなスタンダードをもたらすこととなった。その声は、女性やアフリカ系米国人など、社会の片隅に追いやられていた人々の思いを代弁する、革命的な歌声となったのだ。

 マッスルショールズを後にした数日後、フランクリンはニューヨーク市のスタジオでもう一つのヒット曲「恋のおしえ」を、さらにその1週間後に「リスペクト」を吹き込む。この曲は音楽業界にフランクリンの実力をリスペクト、つまり認めさせただけでなく、反戦運動などで激動の時代にあった米国社会で、女性の権利を認めるよう求める象徴的な歌となった。

天才に生まれて

 この運命的なレコーディングから50余年、そしてフランクリンが76歳でこの世を去って3年近くたっても、その才能にはいまだ謎めいたものがある。長年ソウルの女王として音楽界に君臨し、華々しい成功を遂げたことは誰しも認める。しみ入るようなブルース、高揚感のあるファンク、乗りの良いポップス、流れるようなジャズ、力強いR&B、魂を揺さぶるゴスペル、さらにはオペラのアリアまで、苦もなく歌う驚異的な歌唱力の持ち主。声域の広さ、パワー、ソウルを表現する力において比類のない天才だったことにも疑いの余地はない。

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