6200年前の大量虐殺、犠牲者38人のDNAを分析、深まる謎

集団処刑か? 多くは血縁関係になく、犯人や動機は謎のまま、クロアチア

2021.03.13
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 さらに発掘調査を行うと、古代の陶器の破片が見つかったうえ、3つの人骨の放射性炭素年代測定により、この墓が6200年前のものであることが明らかになった。年代と場所、発見された陶器の種類から、犠牲者たちはラシニヤ文化の人々であると結論づけられた。

 ノバク氏によれば、ラシニヤ文化の人々についてはほとんどわかっておらず、この文化に関連する墓地遺跡は、クロアチアではここ以外にもう1つしか発掘されていない。「この地方でもっとも研究が遅れている先史時代文化のひとつです」と氏は言う。その別の墓地遺跡の調査結果から、ラシニヤ文化の人々は牧畜の民であり、牛を連れて季節ごとに放牧地を移動していたほか、銅を採掘して道具を作っていたと推測されている。

 生物考古学調査によって、男性21人、女性20人の人骨が特定された。50歳位の成人や、若者、わずか2歳とみられる子どもたちも含まれていた。死因が自然死ではないことはすぐに明らかになった。

 成人男性3人、成人女性4人、子ども6人は、頭蓋骨の側頭部や後頭部に、鈍器による骨折、刺し傷、貫通した傷、切り傷などの損傷があった。こうした致命傷には、石斧やこん棒、金属製の道具が使用されたとみられている。凶器は発掘現場からは見つかってないが、犠牲者の傷は、一度の事件で加えられたとみられている。

 とりわけ痛ましいのは、一部の頭蓋骨に複数の傷があることだ。「命を奪うには一撃で十分なはずです」とノバク氏は指摘する。「でも、頭蓋骨に4つも傷を負っている人が2、3人いました。過剰で狂気的だと言ってもいいでしょう」

クロアチアのポトチャニで発見された集団墓地。発見当初は、第二次世界大戦か1990年代のユーゴスラビア紛争の犠牲者と考えられた。(PHOTOGRAPH BY J. BALEN, COURTESY OF THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM IN ZAGREB)
クロアチアのポトチャニで発見された集団墓地。発見当初は、第二次世界大戦か1990年代のユーゴスラビア紛争の犠牲者と考えられた。(PHOTOGRAPH BY J. BALEN, COURTESY OF THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM IN ZAGREB)
[画像のクリックで拡大表示]

暴力の歴史

 不明な点が多いものの、この虐殺が戦闘によるものではないことは明らかだ。戦闘であれば、集団墓地に埋葬されるのは若者や成人の男性がほとんどで、女性や子どもは埋葬されないからだ。また、犠牲者の顔面や前腕には傷がなかった。攻撃を避けようとする人は、本能的に腕を上げて身を守ろうとするので、前腕に傷が残るものだ。したがって、犠牲者たちはしゃがんだ姿勢かひざまずいた姿勢で手を縛られ、身動きがとれない状態だった可能性が高い。

「彼らは身を守るすべがなかったのです」とノバク氏は言う。「これは、あらかじめ計画された集団処刑と考えられます」

 ヨーロッパ先史時代の大量虐殺が明らかになったのは、このポトチャニが初めてではない。例えば、ドイツのハルバーシュタットにある約7000年前の集団墓地には、後頭部を殴打されて殺された犠牲者が多数埋葬されている。

「頭蓋骨の傷は、傷の位置や犠牲者の年齢の幅などの点で、私が調査した他の悲惨な大量虐殺とよく似ています」と、英ケンブリッジ大学の骨学者・古病理学者のトリッシュ・ビアーズ氏は話している。氏は今回の研究には参加していない。

次ページ:幻の加害者

会員向け記事を春の登録キャンペーンで開放中です。
会員登録(無料で、最新記事などメールでお届けします。

会員登録(無料)のメリット

  • 1ナショジオ日本版Webの
    無料会員向け記事が読める
  • 2美しい写真と記事を
    メールマガジンでお届け

おすすめ関連書籍

人類史マップ

サピエンス誕生・危機・拡散の全記録

人類がどのように生まれ、危機の時代を過ごし、世界各地へ拡散していったのかを、様々な考古学的データをもとに再現。 〔全国学校図書館協議会選定図書〕

定価:3,520円(税込)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加