遠い昔から私たちを夢中にさせてきた赤い惑星。多くのことがわかってきた今も、まだ謎めいた存在だ。
地球人はなぜ、これほど火星にこだわり続けるのだろう。2020年10月の夜、私(著者でサイエンスライターのナディア・ドレイク)が米バージニア大学マコーミック天文台へと車を走らせていたのは、この積年の謎を解くためだった。
山の上にある天文台のドームが開いていて、三日月のように琥珀色に光っている。内部に設置された望遠鏡で見る火星は、1世紀以上前に天文学者たちが観察したときと変わらない。1877年、火星の小さな衛星フォボスとダイモスはこの望遠鏡で発見された。
今夜はバージニア大学の天文学者エド・マーフィーが特別に案内してくれた。軌道を考えると、この時期は火星が最も大きく、明るく見える。バージニア州中央部では、気流が乱れて夜空の観察が難しいこともあるが、今夜なら条件が整うと彼は計算していた。
マーフィーははしごを登って、1885年に造られた木製の観測台に腰を下ろした。そして、ひときわ明るいオレンジ色の光の点に巨大な望遠鏡を向け、つまみを回して焦点を合わせた。
「しばらくすれば大気が落ち着いて、くっきり見えるようになります……またすぐぼやけてしまいますけど」とマーフィーは言う。
私は彼と場所を交代した。望遠鏡がとらえた火星は桃色の球体で、鮮明になったりぼやけたりを繰り返す。その陰影に富む地表をスケッチしてみた。見慣れない特徴を高度な文明の痕跡だと信じ、地図まで作成した19世紀の学者たちの気持ちがわかるかもしれない。
火星の表面に見えるものが土木工事の跡でないことは今では周知の事実だが、人類は時代を超えて火星に興味を抱き続けてきた。何千年も前から火星を神になぞらえたり、動きを記録したり、地表の地図を作ったりしながら理解しようと努め、芸術にも盛んに取り入れてきた。技術の粋を集め、桁外れの費用を投じて、50機を超える探査機を火星に向けて飛ばしてもいる。多くは失敗に終わっているが、それでも人類の火星探査熱は一向に冷めない。
2020年10月時点では8機の探査機が軌道を周回するか、地表を探査している。この記事が出る21年2月末には、さらに3機が到達している予定だ。米航空宇宙局(NASA)のパーシビアランスと、成功すればともに国として初の快挙となる中国とアラブ首長国連邦の探査機だ。
それにしても、なぜ火星なのか? 一番明るいわけでも、最も距離が近いわけでもない。一番小さくもなければ、最も行きやすいわけでもない。金星ほど謎めいてもいないし、宝石を思わせる木星、環をもつ土星のように華やかでもない。地球外生命体が存在するとも考えにくい。生命体を探すなら、外太陽系にある惑星の、氷の海が広がる衛星の方が期待できそうだ。
なぜ火星を探査せずにいられないのか。科学的な視点で見れば、周回機や着陸機、探査車から送られてくる画像や情報が増えるにつれて、その理由は複雑になり、時代とともに変化している。火星は永遠の謎であり、知れば知るほどわからなくなる。「火星は、人類が解明するのに最も時間を要するものでしょう」と、カナダにあるヨーク大学の人類学者キャサリン・デニングは言う。
火星が大衆文化に根を下ろしている理由も明快だろう。その実態がわかってきてもなお、地球を飛び出した人類が、そこに新天地を切り開く未来が想像できてしまうからだ。「それほど何もないということです」とデニングは言う。
自分の下手なスケッチを眺めながら、ここ数十年の火星に対する人々の熱狂に思いをはせた。太陽系のほかの惑星に人類の夢と技術を託そうとする科学者もたくさんいる。使える資源には限りがあるし、競合する計画も増える一方だ。そうしたなかで、果たして私たちは火星の誘惑をきっぱり断つことができるのだろうか。
「火星から来た男」
フランク・R・ポールが雑誌用に描いたイラスト。火星人はテレパシーを使い、凍らないように目と鼻を引っ込められる。(CHRONICLE/ALAMY STOCK PHOTO)
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