歴史ある城、シカのすむ森、耕された土、金色に輝く大麦畑。なるほどウイスキーの里らしい雰囲気をたたえているが、ここはスコットランドでも、アイルランドでもない。ドイツ北東部のブランデンブルク州だ。
ウイスキー生産では新興国と言っていいドイツだが、スコットランドのほぼ2倍に当たる250もの蒸留所がウイスキー生産に関わっているという。顔の見える生産が重視される中で、ドイツウイスキーに対する関心はこれからますます高まるに違いない。
蒸留所を巡るならブランデンブルク州が良い。2020年10月に開港したばかりのベルリン・ブランデンブルク空港から半径100キロメートルほどの範囲に5つの注目すべき蒸留所が集まる。

「蒸留酒の製造は、何百年もの間、ブランデンブルクの一部でした」と、「プロイシシャーウイスキー」を製造するコーネリア・ボーン氏は語る。「しかしその知識は、共産主義時代に失われてしまいました。蒸留酒の製造が取り締まりを受け、ウオッカ以外の生産が禁止されたのです。ウイスキーは非合法とされ、闇市場でしか手に入らなかったのですから驚きです。そこで今、その遅れを取り戻そうとしているのです」
目覚ましい復活
旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)のブランデンブルク州ウッカーマルク郡で育ったボーン氏は、検閲にかからずに受信できた西ドイツのテレビ放送で見た、夢のようなウイスキーのコマーシャルに心を奪われた。煙草の煙がただようバー、触れ合うグラス、異国の冒険話、そして一度も味わったことのない、禁止された蒸留酒に憧れを抱いた。ボーン氏にとって、それは西側の世界、鉄のカーテンの向こう側への逃亡、自由の象徴だった。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、ボーン氏がこの統一ドイツの首都を初めて歩いていたとき、ある小さな店が目にとまった。「東から新たに訪れた人は、祝い金として100ドイツマルクがもらえました。私はとっさに、ウイスキーのボトルを買おうと思いました」と話すボーン氏は、このとき24歳だった。「それはジョニーウォーカーでした。私の人生で最も素晴らしい瞬間でした」
それから31年たった今、ボーン氏はドイツで最も尊敬されるウイスキー製造者の一人だ。自分の蒸留所を開いた数少ない女性の一人でもある。若い頃に夢みたブランドを育て上げた彼女は今、ドイツで指折りのオーガニックなシングルモルトウイスキーを造っている。
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