紀元前134年、ローマ軍はスペイン攻略に苦労していた。兵力が必要と悟ったローマ将軍スキピオ・アエミリアヌスは、北アフリカの同盟国であるヌミディア(現在のアルジェリア、チュニジア、リビアの一部)を頼ったところ、ヌミディアの王ミキプサは喜んで兵を提供した。
カルタゴに勝利したばかりだったローマにとって、ヌミディアは忠実な同盟国だった。しかし、ミキプサにはローマを助けるにあたり、裏の動機があった。甥のユグルタをヌミディア軍の指揮官として送ることだ。

カリスマ性があり、賢く、攻撃的なユグルタは、ミキプサと彼の二人の息子を脅かす存在だった。スペインでローマに協力すれば、都合よくユグルタを危険な場所に赴かせることができる。もしかしたら、彼は二度と戻ってこないかもしれない。
ところが、ユグルタはスペインでのローマの勝利の後、スキピオからの輝かしい推薦状を携えて帰国した。軍事的にも政治的にも評価を高めたユグルタは、ローマで貴重な人脈を築いてもいた。ミキプサはユグルタを養子に迎え、国を三つに分割してユグルタと実の息子であるヒエンプサルとアドヘルバルにそれぞれ統治させようとした。しかし、ユグルタが義兄弟との共同統治に満足できないのは明らかだった。
ユグルタの生涯について知られていることのほとんどは、ローマの二人の歴史家、サルスティウスとプルタルコスが著した書物からきている。彼らは、ユグルタがいかに収賄、裏切り、殺人を駆使してヌミディアを単独で支配しようとしたかを記している。ヌミディアの内戦であるユグルタ戦争は、共和制ローマの中心部を蝕んでいた腐敗を露呈させることとなった。
権力を巡る一族の争い
ミキプサの死後、ユグルタはすぐに権力の分立に反対した。彼はヒエンプサルの元に兵士たちを送り込み、家を荒らし、抵抗する者を皆殺しにし、女中の部屋に隠れていたヒエンプサルの首を切り落とさせた。
アドヘルバルはローマへ逃亡し、ユグルタが裏切ったこと、弟を殺害したことを元老院に訴えた。処罰の要求に対し、元老院は調査委員会を設置した。
紀元前1世紀のサルスティウスの著作の中で、ユグルタはローマを「urbem venalem et mature perituram, si emptorem invenerit――売り買いの可能な都市であり、買い手が見つかれば速やかに破壊される運命にある」と表現している。これは彼がスペインでローマ軍と一緒にいた時に学んだ貴重な教訓だ。
義兄の告発に対抗するために、ユグルタはこの教訓を応用し、元老院の友人たちに賄賂を贈った。委員会はヌミディアを2つに分割し、ユグルタとアドヘルバルにそれぞれ治めさせることとした。ユグルタがヒエンプサルの暗殺に関与したことは見逃された。
自信を得たユグルタは、王位独占に向けて自国で軍を増強し、アドヘルバルを攻撃して退却に追い込んだ。アドヘルバルは自らが統治する地域の首都だったキルタに身を置いて、ローマに助けを求めた。ユグルタ軍は城壁に囲まれたキルタを包囲し、食料や物資の輸送を遮断した。
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