サルスティウスによれば、アドヘルバルはユグルタの「非人間的な手」から救い出してくれとローマに懇願したものの、ローマの使節はユグルタとの交渉を成功させるに至らなかった。アドヘルバルは降伏したが、多くのローマ人が共にキルタに閉じこめられている状況から、ユグルタが慈悲を見せるものと信じていた。だが、そんなことにはお構いなく、ユグルタは街を奪い、アドヘルバルを拷問して死に至らしめ、イタリア系を含めて住人の大人たちを殺害した。
買収作戦
ローマ人を殺したことで、ユグルタは一線を越えた。民衆の反発に直面した元老院は、紀元前112年、ユグルタに宣戦布告して軍隊を派遣した。この決定はユグルタを驚かせたとサルスティウスは書いている。「彼はローマでは何でも買えると確信していた」からだ。それでも、ユグルタは再びローマを味方に付けることができると信じていたのだろう。地理的に近いゲルマン民族との対立を抱えていたローマにとって、北アフリカでのユグルタとの戦いは優先順位が低かったからだ。
紀元前111年、ルシウス・カルプルニウス・ベスティアが、北アフリカでローマ軍を率いた。ベスティアは当初、勝利を重ねていたものの、賄賂に屈した。ユグルタがローマ軍に賄賂を配っていたためだ。戦争の長期化はローマにとって最悪だと警告するユグルタの戦術は功を奏し、ベスティアに降伏したものの非常に有利な条件を引き出した。
この取り決めはローマの民衆からは大きな不名誉とみなされた。護民官であったガイウス・メンミウス(「貴族の権力に猛烈に敵対する男」とサルスティウスは評している)は、元老院の貴族たちがユグルタからの賄賂を受け取ったのだろうと告発した。
平民から出た新たな指揮官
ユグルタは再びヌミディアからローマに呼ばれ、告発に対して反論することとなった。滞在中、彼は判決までの過程で自らに有利に事を運ばせるべく、役人に賄賂を贈った。安全な帰国を約束されたユグルタだったが、出発前、ローマ在住のヌミディアの王族で王位継承のライバルであったいとこを発見し、殺害させた。
ローマの保護下にあった王族の殺害は、あまりに行き過ぎた挑発行為だった。紀元前110年、今度は、より経験豊富な将軍たちによってユグルタに対する戦争が再開された。その間、ローマでは貴族と平民の対立が激化していた。