無形文化遺産になったシンガポールの伝統屋台「ホーカー」の歴史

国の成長とともに育ってきた食文化、しかし伝統の継承には黄信号

2021.02.06
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シンガポールの中華街に近いケオンサイク・ロードのフーンキー・ホーカースタンドでは、鴨の炭火焼きが買える。(Photograph by Mindy Tan)
シンガポールの中華街に近いケオンサイク・ロードのフーンキー・ホーカースタンドでは、鴨の炭火焼きが買える。(Photograph by Mindy Tan)

 芸術や書物によって継承される歴史もあれば、口承で伝わる過去もある。シンガポールで時をつむいでいるのは「食」であり、その中心がホーカーセンターだ。

 ホーカーセンターは、いわば屋台村。小さな露店がぎっしりと立ち並び、「ホーカー」と呼ばれる調理・販売を行う行商人が海南チキンライスからラクサ(レモングラスとココナッツ風味の麺料理)まで、さまざまな料理を出している。

 シンガポール人にとって、ホーカー文化には単なるおいしい食事以上の意味がある。中国系、インド系、マレー系の人びとが料理を出しあい、共に味わうこの場所は、人種のるつぼであるこの国を象徴する施設なのだ。

 2020年、シンガポールのホーカー文化はユネスコの無形文化遺産に登録された。無形文化遺産は、よく知られるユネスコ世界遺産と同様、特定の場所にとって不可欠な、失われやすい文化、伝統、技術、知識を向上し、保護することを目的としている。

 ホーカー文化は、この若い都市国家でどのように発展してきたのか、その歴史と抱えている課題を紹介しよう。

ラォパサ・センターで、炭火で肉を焼くサテ屋。このホーカーセンターは、シンガポールの中心街に19世紀に立てられた歴史的なビルの中にある。(Photograph by Mindy Tan)
ラォパサ・センターで、炭火で肉を焼くサテ屋。このホーカーセンターは、シンガポールの中心街に19世紀に立てられた歴史的なビルの中にある。(Photograph by Mindy Tan)

さっと食べられてお腹がいっぱいに

 1819年に英国が、当時シンガプーラとして知られていた地に初めて交易所を設立した頃、現地人であるマレー人の人口はわずか千人前後だった。1830年代までに、数千人の中国人(ほとんどが男性)が移民として渡ってきて、商売を始めたり、プランテーションや船着場で働き出した。そこにインド人移民が加わり、建設作業や兵役に従事した。半島の人口は10倍に増えた。

 このような労働者たちは、さっと食べられてお腹がいっぱいになる食事を必要とした。そこで急増したのが、麺料理、カレー、串焼きなど、祖国の料理を売り歩く行商人、ホーカーだった。両端にカゴを下げた天秤棒を担いだり、コンロを積んだ台車を押したりして、ホーカーは温かい食事を町中で売り歩き、方々の入植地に立ち寄った。

ギャラリー:ユネスコ無形文化遺産になったシンガポールの伝統屋台「ホーカー」 写真7点
ギャラリー:ユネスコ無形文化遺産になったシンガポールの伝統屋台「ホーカー」 写真7点
シンガポール東部のジョーチャット・センターでフックに吊された、バナナの皮で包まれた蒸し団子「ニョニャ」。このマレーシアの伝統料理には、野菜や肉が入ることもある。(Photograph by Mindy Tan)

「サテを売るマレー人が、焼き串とピーナッツソースを中国人コミュニティにもたらし、同様に中国人の麺料理売りが、インド人の多い地域を訪ねました」と、『Singapore Hawker Centres: People, Places, Food(シンガポールのホーカーセンター:人、場所、食べ物)』の著者、リリー・コン氏は述べている。このような異なる文化や伝統料理との出会いが、3大民族から食材と調理法を取り入れたシンガポール料理を生み出した。

次ページ:ホーカーセンターの誕生

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