すべての道はローマに通ず 帝国の枠組みを作った32万キロの街道

古代世界の物流と軍事活動を支えた巨大ネットワークと、それを支えた建設技術の数々

2021.02.07
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紀元前312年に建設が始まったアッピア街道は、古代ローマの道のなかで最もよく知られた街道だ。 (RICCARDO AUCI)

「すべての道はローマへ通ず」とのことわざにあるように、古代の共和政ローマから帝政期に建設されたローマ街道は、最盛期には全長20万マイル(約32万キロ)に及ぶ巨大ネットワークを形成していた。

「剣闘士」や「皇帝」といった古代ローマを象徴するキーワードほどのインパクトはないかもしれないが、ローマ街道は後世まで最も長く残されたローマ帝国の遺産といえるだろう。(参考記事:「ロンドンに残る最古のローマ街道 秘められた魅力」

 ヨーロッパ全土、北アフリカの一部、さらには中東にまで広がっていたローマ街道の名残は、英国スコットランドからイラク、ルーマニア、サハラに至るまで今もあちこちで見られる。

 最初期の街道は、テベレ川沿いの町とイタリア半島にある他の都市を結ぶために建設された。ローマの影響力が強まるとともに道路網も拡大し、新しい領土と住民を、ローマの文明へ結び付けた。そしてそれは、やがて巨大なローマ帝国へと発展していく。約30本の街道には、建設者の名や、終着地の名がつけられている。例えば、アッピア街道は建設者であるアッピウス・クラウディウスに由来し、アルデアティーナ街道はローマから約38キロ離れたアルデーアという町が終着点になっている。(参考記事:「中東に残る古代ローマの栄華、驚きの遺跡群、ジェラシュ」

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 道は、ローマ帝国のDNAに最初から組み込まれていたと考えていいだろう。それは「十二表法」を見ればわかる。十二表法は紀元前451年に作成が開始され、翌年完成したローマで最初の成文法(文字に書かれて定められた法)で、12枚の銅板に刻まれ、裁判手続き、財産所有権、犯罪と処罰、公民権について詳しく定めている。これには道路に関する規定も含まれ、道幅の基準は直線道路の場合8ローマフィート、曲線道路の場合は16ローマフィートと定められていた(1ローマフィートは約30センチ)。

アッピア街道

 ローマ街道の中で最もよく知られているアッピア街道は、紀元前4世紀にローマの監察官アッピウス・クラウディウスによって建設された。当初はローマとカンパニア地方のカープアを結ぶ212キロの街道だったが、その後さらに南へ320キロ以上延長され、紀元前244年までにはイタリア南部アドリア海沿岸の港町ブルンディシウム(現ブリンディジ)まで到達した。(参考記事:「ギリシャを偏愛したローマ皇帝、ハドリアヌス」

ギャラリー:32万キロに及ぶ道 ローマ帝国がつくった巨大ネットワーク 写真11点
アッピウス・クラウディウスの名が刻まれた紀元前4世紀の碑文。紀元前312年に監察官に選ばれたアッピウス・クラウディウスは、アッピア街道と、ローマで最初の上水道であるアッピア水道を建設した。(DEA / ALBUM)

次ページ:今も残る道路建設の詳細な記録

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