儀式の起源は感染症などの危険回避か、由来抜け落ち伝統に、研究

なぜ人は儀式を生み出したのか、コロナ禍の新習慣もやがて「儀式」に?

2021.01.19
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インドやネパールで祝われる「チャット・プージャ」は、古代ヒンドゥー教の太陽神スーリヤに祈りをささげる祭りだ。祭りの間、人々は聖水で沐浴し、飲食を断ち、1時間以上水に浸かって家族の守護を祈願する。(PHOTOGRAPH BY DIANA BAGNOLI/LAIF, REDUX)
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 新年のお祝いは、人類最大級の儀式だ。今月の初め、世界中の人々が花火を上げ、キスをし、1年の抱負を立てた。祝い方には、それぞれの文化に特有のものもある。米国南東部ではササゲ(黒目豆)とコラードグリーン(キャベツやケールの仲間の野菜)を調理し、スペインでは新年を迎えた瞬間にブドウを食べ、中南米では前年を象徴する像が燃やされた。

 人類のどの文化にも固有の儀式がある。儀式とは一般的に、何らかの目的のために繰り返し行われる象徴的な行動のことだ。ただし、その行動がどう機能するのかは説明できないことが多い。

 儀式は共同体の意識や共通の信念を強化する一方で、人々を疎外したり分断したりすることもある。ある文化で大切にされる儀式が、別の文化にとっては奇妙に映る場合は特にそうだ。

 儀式を研究する科学者の大半は、起源がはっきりしないことが儀式の典型的な特徴の1つだと考えている。だが最近は、儀式の多くは災害を回避しようとして始まり、やがて純粋に社会的かつ非常に特異なものになったのではないかと考える研究者が増えてきた。

 人々が身の安全のために始めた行動は、儀式化されることによって、本来の理由が忘れ去られた後も文化の中に維持されているのではないか。英国王立協会の学術誌「Philosophical Transactions of the Royal Society B」の2020年8月17日号(オンライン版は同年6月29日に公開)では、儀式の起源をそのようにとらえる論文が特集されている。

 例えば、儀式的な調理法や体の清め方は、病気の予防手段として始まったのかもしれない。また、多くの儀式は苦難のときに心に慰めを与え、それが一般的な風習になった後は、共同体の感覚を強めることで人々を結びつけるのに役立っている。

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