ベネチアの投書箱がうまくいったのは、匿名での告発は役人に対するものに限り、個人に対するものは無効であると定めた法があったおかげだ。この制度は「少なくとも理論的には、権力を悪用している役人に対する糾弾を積極的に受け付けるため」に使われていたと、ビーボ氏は述べている。また「一般のベネチア市民の意見が真剣に受け止められたこと」は、強い共和国をつくるうえでも役に立ったという。

 投書箱には昼夜を問わずだれもが告発文を入れることができたが、署名入りのものの方が優先された。投書はすべて関連の行政当局によって読まれ、対応がなされた。署名入りかつ証人がいる告発の場合、たいていはベネチアの主要統治機関の一つである十人委員会による審理にかけられた。

 その後、大々的な証拠の収集と捜査が行われ、結果によっては悲惨な末路が待っていた。特に重大な犯罪に対しては、ベネチアの悪名高い牢獄への収監、追放、死刑などの処罰がくだされた。この制度には欠陥もあり、時には無実の人が有罪とされることもあった。

ボッケ・ディ・レオーネを通じて行われた告発によって有罪となった人は、牢獄に送られることもあった。ため息橋を渡った先にも、そうした牢獄がある。(PHOTOGRAPH BY ERIC MARTIN, FIGAROPHOTO/REDUX)
ボッケ・ディ・レオーネを通じて行われた告発によって有罪となった人は、牢獄に送られることもあった。ため息橋を渡った先にも、そうした牢獄がある。(PHOTOGRAPH BY ERIC MARTIN, FIGAROPHOTO/REDUX)
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 それでも17世紀のベネチア共和国は、厳格ではあっても効果的な法制度を持つことで広く知られており、別名ボッケ・ケ・パルラノ(話す口)とも呼ばれたこの箱もその一助となっていた。「ベネチアが例外的だったのは、王や独裁者が存在せず、権力の集中がなかったため」だと、ベネチアとパリの大学で演劇とオペラの講師を務めるカテリーナ・ビアネッロ氏は考察している。

 苦情を集める箱を設置するという方法は、だれもが意見を言うことを可能にした。そして権力を共有することによって、人々は同時に責任も共有していた。「現代のように個人に焦点を当てるのではなく、すべての市民が共通の目的のために活動していたのです」と、ビアネッロ氏は言う。(参考記事:「ミステリアスで美しい、ベネチア・カーニバルの魅力」

ライオンの沈黙

 ベネチア共和国崩壊のきっかけとなったのは、フランス革命戦争の煽りを受けて起こった数々の政治的な事件だった。そして1797年、ナポレオン・ボナパルトによる宣戦布告の脅しを受けたベネチア元老院は退陣を余儀なくされ、1100年間にわたる穏やかで秩序ある共和制は終わりを迎えた。

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