ギリシャを偏愛したローマ皇帝、ハドリアヌス

ギリシャ風のひげを蓄え、アテナイに新たな繁栄をもたらした

2020.12.13
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西暦130年から140年頃に作られたローマ皇帝ハドリアヌスの胸像。ギリシャを愛した皇帝は、髪形やあごひげまで「ギリシャ風」だった。ギリシャ、アテネの国立考古学博物館所蔵。(DEA/ALBUM)
西暦130年から140年頃に作られたローマ皇帝ハドリアヌスの胸像。ギリシャを愛した皇帝は、髪形やあごひげまで「ギリシャ風」だった。ギリシャ、アテネの国立考古学博物館所蔵。(DEA/ALBUM)

 ローマ帝国が繁栄した時代、皇帝が訪れるとなれば、どの街でも期待が高まっただろう。しかし西暦124年のアテナイ(現在のギリシャの首都アテネ)の人々の期待は絶大だった。

 ブリテン(現在の英国南部)からバビロニア(現在のイラク)に至る大帝国を治めていた当時のローマ皇帝ハドリアヌスは、子どもの頃から無類のギリシャ好きで知られていたからだ。彼はローマ支配下にあった多くの都市の中から知の故郷としてアテナイを選び、記念建造物を造るのに投資を惜しまなかった。

 彼がアテナイに造った建造物には、過去の栄光を記念する意味だけでなく、その時代における重大な意義もあった。ハドリアヌスは、アテナイを復興させることで、抵抗を続けていたローマ帝国東方部の安定につながると考えていたのだ。

紀元2世紀のアテナイを描いた絵。奥に見えるのが古代のパルテノン神殿。オリンピア=ゼウス神殿(左)を含め、ハドリアヌスが新しく建てた数々の建造物が描きこまれている。(PRISMA/ALBUM)
紀元2世紀のアテナイを描いた絵。奥に見えるのが古代のパルテノン神殿。オリンピア=ゼウス神殿(左)を含め、ハドリアヌスが新しく建てた数々の建造物が描きこまれている。(PRISMA/ALBUM)

培われたギリシャ愛

 プブリウス・アエリウス・ハドリアヌスは、西暦76年、現在のスペイン南部セビリア近くの都市イタリカの貴族の家に生まれたとされる。85年に父親が亡くなると、従兄であり後に皇帝となるトラヤヌスに引き取られた。ギリシャの歴史や哲学を含む高等教育を受ける中で、若き日のハドリアヌスはあまりにギリシャにのめり込んでいたため、「グレキュラス」すなわち「ギリシャっ子」とのあだ名を付けられたという。

 ハドリアヌスは14歳でローマに移り住むと、出世の階段を上っていった。22歳の頃に後見人のトラヤヌスが皇帝になると、ハドリアヌスは軍事担当官、法務官、執政官など、様々な要職を歴任していく。最も気に入っていたのは、111年から112年にかけてアテナイで得た役職かもしれない。ハドリアヌスは、アテナイ人によって市民権を授けられ、ギリシャの執政官「アルコン」に任命されている。

 ハドリアヌスは、トラヤヌスのもとでローマ帝国の急速な拡大を経験した。トラヤヌスによる19年の治世の間に、ダキア(現在のルーマニア)やメソポタミア(現在のイラクのあたり)までもがローマ帝国の支配下に置かれた。トラヤヌスは西暦117年にシチリアで亡くなり、ハドリアヌスが皇帝の座を継いだ。

ポンペイで見つかった紀元前1世紀後半のモザイク。プラトンが開設した学園、アカデメイアで生徒と話すプラトンが表現されている。ローマ人がギリシャの文化や思想を高く評価していたことが分かる。(BRIDGEMAN/ACI)
ポンペイで見つかった紀元前1世紀後半のモザイク。プラトンが開設した学園、アカデメイアで生徒と話すプラトンが表現されている。ローマ人がギリシャの文化や思想を高く評価していたことが分かる。(BRIDGEMAN/ACI)

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