ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模

火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味

2020.11.22
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儀式的な意味合いをもつ配置

 現在の考古学者たちは、ストーンヘンジを中心とするモニュメント群が儀式的な意味合いをもつように配置されていると考えている。紀元前2500年以降に造られたアベニューは、ストーンヘンジとエイボン川をつなぐ間に聖域同士を結んでいる。アベニューの向きは、夏至の日の出と冬至の日の入りの方向に一致するため、新石器時代の人々がどれだけの天文学的知識を利用したのかという謎が生まれた。

 ストーンヘンジ周辺の遺跡は、象徴的かつ物理的にストーンヘンジと結びついている。ストーンヘンジのおよそ3キロ北東には「ダーリントン・ウォールズ」がある。それ自体が巨大な円形の土塁跡からなる複合遺跡だ。この土塁が造られる前には大きな村があったと考えられている。

 ダーリントン・ウォールズの重要性は近年、より明らかになってきた。2000年代初頭、英シェフィールド大学のマイク・パーカー・ピアソン氏が共同で率いた「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト(SRP)」(ナショナル ジオグラフィック協会も資金を提供している)によって、何百もの住居跡からなる新石器時代の村落跡が発見された。村にはストーンヘンジを造った労働者が暮らしただけではなく、ブタなどを焼いて食べる大規模な宴会に参加した巡礼者たちが滞在したと考えられている。(参考記事:「ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘」

紀元前2800〜2400年の間に、ダーリントン・ウォールズに大きな木造のモニュメントが建てられた。現在、「サザン・サークル」として知られるこの遺跡は、ストーンヘンジと対になるものと考えられている。村落にはエイボン川に通じる独自のアベニューがあった。(ILLUSTRATION BY 4D NEWS)
紀元前2500年頃、ダーリントン・ウォールズには数百軒の住居があったと考えられている。当時としてはブリテン島最大の村落だったかもしれない。これまでに10軒の住居跡が発掘されている。住居の床はチョーク(白亜)でできており、中心には炉があった。柱穴が見つかっていることから、周辺に生えるアシやスゲなどを使ったかやぶき屋根を木柱が支えていたのではないかと考えられている。(ILLUSTRATION BY 4D NEWS)

 発見されたブタの骨の同位体分析からは、それらが全て地元で調達されたわけではなく、ウェールズやスコットランドを含む全島からブタ宴会にやって来た人々が、それぞれの土地からブタを連れて来ていたことがわかった。こうした証拠は、ストーンヘンジや周辺の遺跡群が、ブリテン島全域の住民にとっての儀式の場だったことを裏付けている。この村はやがて打ち捨てられ、代わりにブリテン島で最大の「ヘンジ(環状遺跡)」となる巨大な円形の土塁が造られた。(参考記事:「ストーンヘンジ期のブタ宴会、全島イベントだった」

 近年、深さ60センチほどの穴が複数発見され、ダーリントン・ウォールズの近くに巨大な木造構造物があったことが示唆されている。穴は1.6キロ以上に及ぶ円弧状に配置され、全体で300個ほどあるようだ。かつてはそこに高さ約5メートルの頑丈な木柱が立てられ、ソールズベリー平原にまた別の象徴的な風景を作り出していたと考えられる。

ウッドヘンジ

 ダーリントン・ウォールズの南にも「ウッドヘンジ」がある。1925年、飛行士のギルバート・インサールが上空から撮影した写真によって存在が確認され、後にウェールズ出身の考古学者モード・カニングトンが発掘を行った。

 カニングトンのチームが1929年に調査を終える頃には、航空写真に写った環状に並ぶスポットが、柱を立てた穴だったとわかった。中には8メートル近い高さの柱もあったと推測された。外側を土手と溝に囲まれて6つの環状に配置された木柱は、かやぶき屋根を支えていた可能性がある。中心には、割れた子どもの頭蓋骨が埋葬されていた。カニングトンはこれを生贄だと考えたが、調査のために持ち出された遺骨はその後紛失し、詳しく調べられたことはない。

 最近では2009年にSRPが、「ウェスト・エイムズベリー・リング」またの名を「ブルーストーンヘンジ」を発見したと発表した。エイボン川に近い側のアベニューの終点で見つかった、高さ2メートル近い立石からなる円形の構造物だ。(参考記事:「ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡」

ウェスト・エイムズベリー・サークルはブルーストーンヘンジとも呼ばれる。2009年に発見された。アベニューとエイボン川が交差する地点にある。(EFE)

石の環は死者を、木の環は生者を

 一連の構造物は互いに関連し、文化的な関係や宗教的な意味でつながりがあったと考えられている。人々の信仰が具体的にどのようなものだったのかは、当然ながら何世紀にもわたって問われ続けてきた。SRPも2003年から2009年の間、遺跡群を何十回となく発掘し、造った人々の意図を探ろうとしてきた。

 明らかなのは、ストーンヘンジと周辺の遺跡群が全て、生と死にまつわる儀式に関わっていたということだ。SRPによると、ストーンヘンジの周辺ではわかっているだけでも63回、火葬が行われている。新石器時代のヨーロッパでは最大級の火葬場だったのだ。

ストーンヘンジで発見された火葬人骨を分析したところ、遠く離れた土地から来た人々であることがわかった。(ALAMY/ACI)

 パーカー・ピアソン氏の調査チームが、オーブリー・ホールの一つで発見された数十体分の火葬人骨を分析したところ、多くの人はこの土地の生まれではなかったことが判明した。ストーンヘンジが古代のブリテン島全域から人々を引き付けていたことを支持する証拠だ。これらの遺跡群は、地域を統一する力として機能していたのだろうとチームは考えている。

 20世紀の天文学者ジェラルド・S・ホーキンズは、ストーンヘンジを「新石器時代のコンピューター」と表現した。巨石が天文現象に調和するように、意図をもって配置されているからだ。最も有名なのは6月の夏至と12月の冬至だ。しかし考古学者たちは、ストーンヘンジが単なる暦ではなく、生と死にまつわる宗教儀式を含め、様々な目的のために使われたと考えている。

霧が晴れ、ストーヘンジの巨石のトリリトン構造があらわになる。上空から見ると、同心円状になった初期の土塁の環の跡がはっきりとわかる。(GAVIN HELLIER/AWL IMAGES)

 SRPは、ストーンヘンジは火葬された人々の存在に支えられた、祖先崇拝のための場所でもあったと考えている。また、ストーンヘンジの巨大な環状列石と、それによく似たダーリントン・ウォールズの環状木柱列との象徴的な関係も探究している。石の環は死者を、木の環は生者を表しており、それらを結ぶアベニューが、2つの世界のつながりを象徴していたのではないかというわけだ。

文=JULIUS PURCELL/訳=桜木敬子

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