ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模

火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味

2020.11.22
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ストーンヘンジが、雪に覆われた英国イングランドのソールズベリー平原に鎮座する。後期新石器時代の遺跡群の一部であり、4500年前に造られた。(TOM MACKIE/AWL IMAGES)

 世界で最も有名な先史時代のモニュメントと言えばストーンヘンジだろう。英国ロンドンから南西へ約150キロのソールズベリー平原に4500年前から立つ、謎に満ちた巨大遺跡だ。周囲に点在する関連の遺跡群とともに、1986年にユネスコの世界遺産に登録された。

磨かれた片麻岩でできた合成こん棒の頭部。ストーンヘンジの近くで発見。(KEN GEIGER/NG IMAGE COLLECTION)

 この20年で考古学者たちは、周辺の様々な証拠をつなぎ合わせ、建造にあたった新石器時代の人々について実に多くのことを明らかにしてきた。天文学の知識と土木技術、そして強い決意をもつ古代人が建てたストーンヘンジは、後世の人々の想像力を何千年もの間かき立ててきた。

あの魔術師と王の伝説も

 ストーンヘンジにはさまざまな仮説がある。なかでも最も有名かつ空想的な仮説は、アーサー王伝説に含まれる物語だろうか。12世紀の年代記作家ジェフリー・オブ・モンマスは著書『ブリタニア列王史』のなかで、魔術師のマリーンがアイルランドから石を運んだと書いた。

 同じく12世紀の作家であったヘンリー・オブ・ハンティングドンはこう表現している。「驚くべき大きさの石がまるで門のように立てられ、門の上に門が置かれているかのようだ。また、それらの石がいかにしてあの高さまで持ち上げられたのか、そもそもなぜあの場所に立てられたのか、誰にもわからないのである」。ストーンヘンジの名は、ヘンリーがモニュメントを「Stanenges」と呼んだことから来ている。アングロ・サクソンの言葉で「石の絞首台」という意味だ。

 17世紀にはさらに多くの仮説が登場した。イングランドの建築家イニゴー・ジョーンズは、古代ローマ時代の神殿に違いないと考えた。哲学者ウォルター・チャールトンは、バイキングの手によるものだと主張した。

 遺跡を初めて丹念に調べたのは、17世紀の学者ジョン・オーブリーだ。彼は古代ブリテンのドルイドがストーンヘンジを建てたと考えた。1660年代に調査したオーブリーは、巨石を囲む土塁のすぐ内側に56個の穴が並んでいるのを発見した。彼の名を冠して「オーブリー・ホール」と呼ばれるこれらの穴には、木の柱が立っていたと現在の研究者たちは考えている。(参考記事:「ドルイドって何? 古代ケルト、謎の社会階級」

「オーブリー・ホール」と呼ばれる穴は全部で56個。ストーンヘンジを囲む土塁のすぐ内側に円形に掘られている。20世紀前半の調査では、遺骨を収めた袋の留め具とともに火葬された人骨が見つかり、2008年の再発掘の際にはVII号穴から支配層と思われる25人の遺骨が見つかった。遺骨は紀元前3000〜2450年のものであり、ストーンヘンジが新石器時代のヨーロッパ有数の火葬場だったと立証された。埋葬者の40%ほどは地元出身ではなかった。ストーンヘンジを構成するブルーストーンが切り出されたウェールズから来た人々ではないかとの説がある。(SERGIO AZENHA/ALAMY/ACI)

 18世紀にも調査は続けられ、学者のウィリアム・ストゥークリーによって「アベニュー」が発見された。エイボン川とストーンヘンジをつなぐ長さ3キロ余りの道だ。オーブリーと同じくストゥークリーも、ストーンヘンジを造ったのはドルイドだと考えた。

 19世紀になると、建造時期が先史時代にさかのぼる可能性が検討され始める。1900年に始まった修復作業に基づき、ウィリアム・ゴーランドはストーンヘンジが後期新石器時代または前期青銅器時代のものであると推定した。これが、今日の研究の土台にもなっている。

次ページ:石はどこから、どうやって運んだのか

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