道は人間と似ている。内に秘められた物語をすべて知ることはできないからだ。英国の歴史家たちは、ロンドンの中心部を我が物顔で行進した侵略者たちについて声高に語ろうとしない。だが、ロンドン市内にA10として走る幹線道路は、かつて古代ローマ帝国が開いた道にほかならない。(参考記事:「ローマ時代の鷲の彫像、ロンドンで発見」)
全長およそ145キロのこの道路はロンドン橋を起点とし、北のケンブリッジ方面に延びている。ガラス張りの超高層ビルから緑の牧草地へ続き、やがて、ノーフォークやヨークシャーの古代の入植地へと分岐する。
この道が生まれたのは約2000年前のこと。古代ローマ人がテムズ川の幅の狭い部分に木造の橋を架け、ロンディニウムを建設した。川の北岸には、コロネード(柱廊)が設けられた。川岸の活気あふれる波止場では、母国から届いたオリーブ油、ワイン、フィッシュソース(魚醤)など、現地の食材をおいしく食べるための品々が船から降ろされた。 (参考記事:「2012年9月号 ローマ帝国 栄華と国境」)
敷設されたこの道路は、数世紀にわたって「アーミン街道」と呼ばれていた。なだらかな丘をのぼれば、平坦な広い「フォーラム」と呼ばれる広場に到着する。フォーラムは、古代ローマのフォロ・ロマーノの約半分ほどの広さだったようだ。それから道路は、ロンディニウムを囲む石造りの防壁を抜けて、まっすぐに北へ向かう。
人々を引き付ける不思議な通り
ロンドン北東部にある私の住まいの裏手も、この通りに面している。この道を歩くと、英国の首都とは思えないほど生活感に満ちている。新型コロナによるロックダウンの時期を除けば、私は、ほぼ毎朝、ベンガル人が経営する食料品店でバナナを買う。そして、おしゃれな口ひげのイタリア人バリスタから、アーモンドミルク・ラテを受け取る。このカフェの壁の剥がれた部分からは、タイルの壁がのぞいている。これは、100年前にここで営業していた精肉店の名残りだ。私は、エジプト人の雑貨屋で新聞を買うこともある。店の窓には、「ポルノは取り扱っていません」と書かれた張り紙が誇らしげにある。 (参考記事:「2016年2月号 地下に眠るロンドン」)