今はなき「死者を運ぶ鉄道」の歴史、19世紀の英国

ロンドン・ネクロポリス鉄道、産業革命で人があふれ、死者もあふれた

2020.11.21
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 1852年、ロンドン・ネクロポリス・アンド・ナショナル・モーソリアム社が設立され、ロンドンの南西約37キロのサリー州ウォキングに2平方キロ弱の墓地をつくる計画が始動した。契約の不備と内部紛争が原因で、ブラウンとスプライは会社から締め出され、1ペニーの報酬も得ることができなかった。

一般大衆も眠れる、自然の中の墓地

 1854年、墓地が完成。当時の墓地としては世界最大で、ブルックウッド墓地と名付けられた。マグニフィセント・セブンの流れをくんでおり、広告には「木々と花々、曲がりくねった小道が織り成す豊かな風景、何よりも秩序に配慮した区画」と書かれていた。ロンドンの日常とは全く異なる空間だ。針葉樹の森に囲まれ、迷子になるほど広大だった。

 ブルックウッドとマグニフィセント・セブンには決定的な違いがある。コストだ。ロンドンの労働者にとって郊外の墓地は、豪華な都市の墓地よりはるかに手ごろだった。ブルックウッドへの鉄道の旅は、短時間で安価でもあった。墓の価格もはるかに安い。鉄道のおかげで、自然の中で死者を哀悼することは、ロンドンのエリートのみに許されるぜいたくではなくなった。

 死者がブルックウッドで永遠の眠りにつくまでの流れは、極めてシンプルだ。まず、ロンドンのウォータールー駅にひつぎが運ばれ(通常は葬儀用の馬車を使う)、アーチ形の入り口を通過する。ロンドン・ネクロポリス鉄道のプライベートターミナルはその先にあり、地下にひつぎを納めるための共同保管庫がある。

 朝、喪服姿の会葬者が駅に集まる。おそらく葬儀の招待状には、故人の名前と列車の出発時刻、帰りの列車の時刻が記されている。遺体は専用車両に積まれ、会葬者は割引乗車券を購入し、別の車両に乗り込む。毎朝、専用列車がウォータールー駅からブルックウッドに向かい、午後に戻ってくる。

ギャラリー:19世紀英国「死者を運ぶ」ロンドン・ネクロポリス鉄道 画像5点(画像クリックでギャラリーへ)
英国サリー州にあったブルックウッド墓地北駅。1911年の絵はがきより。(GIBSON GREEN/ALAMY)

 旅の終着地は故人の宗教によって決まる。ブルックウッドには2つの駅がある。英国国教徒のための駅と「非国教徒」の駅だ。2つの駅舎は、待合室と葬儀の受付、従業員の住居、そして墓石のショールームを兼ねていた。

 2つの駅は決して暗くもの悲しい場所ではない。どちらにもパブがあった。墓地で働いていたある従業員の娘が次のように振り返っている。「ロンドンから列車でやって来た会葬者が利用していただけでなく、地元の人々が午後のお茶を楽しむために歩いてくることもありました。パブとしての認可を受け、パブの営業時間を守り、主に地元住民のための娯楽になっていました」

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