ウイルスと社会不安が人間性を試している(新型コロナで変わる世界)

死は、人類の現実を映し出す鏡を私たちの前に置いた

2020.11.03
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米国カリフォルニア州コンコードで、防護服を着て高速鉄道の消毒を行うスターリング・ジョンソン。(PHOTOGRAPH BY PARI DUKOVIC)
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この記事は、雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版 2020年11月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

新型コロナウイルスによって私たちの暮らしや働き方は変わった。また、ウイルスが格差を浮き彫りにし、社会正義を求める運動が各地で起きている。社会における格差を是正し、最も弱い立場の人々を守る必要がある。

 ルビー・モスは、どうにか力を振り絞ってひざまずき、神に祈った。自らも新型コロナウイルスに感染して衰弱していたが、32年間連れ添った夫のアドルファスのために祈らずにはいられなかった。

 彼の容体は急速に悪化していた。米国アラバマ州タスカルーサの病院の看護師から電話があり、人工呼吸器を最大限に使っても、アドルファスはもう呼吸ができない状態だと聞かされた。

「主よ、どうか彼をお助けください」。ルビーは必死に祈り続けた。数分後、電話が鳴った。「残念ですが、お亡くなりになりました」

 葬儀は4月、アラバマ州ヨークの教会の墓地で行われた。享年67。教会では執事を務め、地元のリーダーとしても尊敬されていたアドルファスは死者を送る演奏も弔辞もなく、静かに埋葬された。葬儀はわずか10分で終わった。

「夫にふさわしいお別れの会を開くことができませんでした」とルビーは語る。「参列者は10人までと言われました。そのうち2人は葬儀社の人です。まるで別世界にいるようで、実感がありませんでした」

 2020年という年は、私たちの生き方と死に方に、想像を絶する変化をもたらした。旅立つ者は独りで逝き、残された者は独りで悲しむ。葬儀の在り方は見る影もないほど変わった。アイルランドの通夜では、棺の蓋を開けて故人を囲み、皆で歌ったり、献杯したりする伝統があったが、今では厳しく制限されている。最期を迎える人の体に触れ、別れのハグをすることもできなくなった。新型コロナウイルスにより、死は人類が経験したなかで最も孤独な旅となった。

「葬儀は、悲しみに暮れる遺族を導く、極めて大切な儀式です」と話すのは、米ベイラー大学の医療人文学の臨床教授ウィリアム・ホイだ。「“オンライン葬儀”にこの役割は果たせません。同じ空間で涙を流し、肩をさすり合い、故人を悼むことができない状況が、遺族の心に深刻な影響を及ぼすのではないかと心配しています」

「米国同時多発テロ事件の遺族のなかには、大切な人の遺体が見つからなかったことや、きちんと埋葬できなかったことを、今も受け入れられない人がいます。遺族にとって、遺体との対面は絶対に必要です」とホイは指摘する。

 新型コロナウイルスは驚くべき数の命を奪っただけではない。私たちから、経験の共有という何よりも大切なものを奪った。職場や教育の場、家庭において長年行われてきた習慣は奇妙に形を変え、人生の節目を祝う式典も中止された。3月以降はトイレットペーパーを買いあさったり、公共の場でのマスクの着用の是非について見知らぬ人と口論したりといった異常な行動が頻発した。

 今、世界各地で、社会における構造的な格差や、現実に即していない価値観が検証され、是非を問われている。「エッセンシャルワーク」とは何だろう? 「エッセンシャルワーカー」とは誰のことを指すのだろう? そしてなぜ、最前線で働く人々はワーキング・プアと呼ばれる低収入の労働者が非常に多く、彼らの職場における感染予防策はこれほどまでに不十分なのか。

次ページ:非常事態が重なって明らかになった事実

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