英国ロンドンのジュビリー・ガーデンで、距離をとりながらくつろぐ人々。(PHOTOGRAPH BY GILES PRICE)

この特集の写真の撮影手法:物体の熱をとらえるカメラを用いた。ウイルスの感染確認のために体温が測定されるようになった社会状況を反映している。青は低温、オレンジは高温で、色の濃さがその度合いを示している。
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この記事は、雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版 2020年11月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

未知のウイルスを解明するための試行錯誤が続いている。科学は常にこうしたプロセスを経て進歩してきた。見ていて不安に感じるかもしれないが、それがこの疫病に勝つ唯一の道だ。

 過去40年間にわたって私が書いてきた本や記事に共通するテーマがあるとすれば、それは人体の謎に挑む科学のおもしろさだ。長年、生物医学の研究を解説する仕事をしてきて、科学がたどるプロセスに深い敬意を抱くようになった。科学は時には誤りも犯し、自己修正が必要な局面もあるが、最終的には世界をより明確に理解し、そこで繁栄していけるように導いてくれる。私はそう確信している。

 だから科学者たちが先を争って未知のコロナウイルスの解明に乗り出したとき、感染防止のための専門家のアドバイスには進んで従おうと思った。当初は主にせきやくしゃみによる飛沫がさまざまな物の表面に付着し、そこから感染が広がると考えられていたため、私は台所の調理台をきちんと拭き、手で顔に触らないように気をつけ、丁寧に手を洗うように努めた。

 その後、私の住む米国ニューヨーク市で都市封鎖が実施されてから2週間半ほどたった頃、専門家のアドバイスががらっと変わった。マスクをしなさい、というのである。当初は、最前線の医療従事者を除いて、一般の人はマスクを着けないようにと言われていた。方針転換はおおむね新しい仮説に基づくものだった。新型コロナウイルスは主としてエアロゾル、つまり空気中に漂う微小な粒子を介して感染する、という仮説だ。

 どちらが本当なのか。接触感染かエアロゾル感染か。エレベーターのボタンに触ることより、そばにいる人の吐く息を警戒すべきなのか。科学者は本当にわかっているのだろうか。

 マスクについてのアドバイスが変わったことで、私は不安になった。問題は新しい方針そのものではない。専門家が推奨するなら私は喜んでマスクをする。気になるのは科学者たちが場当たり的に対応しているのではないか、ということだ。世界で最も優秀な専門家が最も真剣に発信するメッセージがにわかに色あせ、せいぜい経験知に基づく「善意の推測」にすぎないように思えてきた。

 ここで少し立ち止まって考えてみよう。科学者たちが新型コロナウイルスをより正確に把握し、この感染症の予防法を突きとめようと、衆人環視のなか、大慌てで右往左往する様子を目の当たりにしたことは、長期的にどんな影響を及ぼすのか。私のような科学オタクでさえ、科学者たちが議論し、意見の一致を見ず、見解を変え、再検討する姿を見ていると落ち着かない気分になった。白衣のヒーローが現れて、一気に問題を解決してくれないか。そんなむなしい希望にすがりたくなった。私がまだ幼かった1955年、ジョナス・ソークがポリオのワクチンを開発し、恐ろしい感染症は克服された。以後、私の母はソークの名を、敬意を込めて口にしていたものだ(1)。

 科学者たちが、一見手に負えない、この恐ろしい疫病から私たちを救おうと奮闘している今、もう一つの幸福な結末を思い描くこともできる。人々がただこの危機を生き延びられるだけでなく、その経験を通じて英知を得る、という結末だ。この悲惨な経験から何か大きな教訓を学ぶとすれば、それは「生存が脅かされる危機を乗り越える手だてとして、科学がたどるプロセスを信頼していい」ということかもしれない。私はそこに希望を見いだしている。

1. ポリオは子どもがかかりやすく、まひを起こすこともあった。毎年夏に感染が広がったため、プールが閉鎖されるなどした。

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