米国ワシントン州シアトル郊外に住む33歳の医療助手ダニー・サトウさんが、近所を散歩した後、自宅に向かって歩いていると、何か重たいものが胸にぶつかった。猛スピードで走り去る車から、中国人に対する人種差別的な言葉を叫ぶ声が聞こえた。
車は交通の流れの中に紛れ、ダニーさんはさっき自分に当たった1リットル入りのペットボトルを拾おうと身をかがめた。鎖骨に痛みが走ったが、ダニーさんは自分にこう言い聞かせた。こんなことくらいなんでもない、大丈夫だ。歩道にじっと立ったまま、彼女は祖母に思いを馳せた。
ニューヨークで育ったダニーさんは、日系であることによる周囲からの偏見を感じたことはほとんどなかった。しかし、祖父母と一緒に住んでいたブルックリンの家には、それを想像させる過去が溢れていた。
祖父のエイサク・"エース"・ヒロムラさんは、第二次世界大戦の経験をほとんど口にしなかったが、自室の壁に掛けられた勲章は、祖父が第442歩兵連隊の一員として戦闘に参加したことを伝えていた。日系二世が所属し、数多くの勲章を受けた連隊だ。
祖母のハルカ・"アリス"・キクチさんは、20歳の頃のダンスパーティーについて聞かせてくれた。パーティーが催されたカリフォルニア州のタンフォラン競馬場は、祖母が7800人近い日系米国人と一緒に、米国政府によって強制収容されていた場所だった。祖母と7人のきょうだいは、厩舎に並べられた簡易ベッドで眠った。
強制収容は間違いだったと、祖母はダニーさんに語った。それでも、恨みを抱いてはいなかった。もっといい方法があるはずだと、祖母は言っていた。
だから、水のボトルが胸にぶつかり、侮辱の言葉が響いたとき、ダニーさんは、現在101歳になる祖母が貫いてきた楽観主義と自制心を思った。ダニーさんは歩き続けた。自宅まではあと4ブロックだったが、涙が溢れてきた。
新型コロナウイルスのパンデミックが始まってからの数カ月間、米国にいる多くのアジア人が、嫌がらせや暴行のターゲットとなってきた。人種差別的な事件が起こるようになったのは、2019年12月に中国でコロナウイルスの感染者が出始め、誤った情報が一気に広まったころのことだ。