伝説によると、ギリシャのクレタ島にある迷宮の奥深くに、人の肉を食らう半人半牛の怪物ミノタウロスがいたという。
ミノタウロスは、義理の父であるミノス王に幽閉され、生け贄として差し出されたアテナイ(現在のアテネ)の若者たちを餌食にしていた。しかし、最後にはアテナイの英雄テセウスの手によって倒される。
ミノタウロスの物語は、陶器や詩、演劇、さらにはピカソの芸術作品にまで、数えきれないほどの影響を与えている。考古学者は今、その物語が当時の地中海における現実に深く根付いていたと考えている。
ギリシャ神話に登場するミノタウロスは、クレタ島で生まれた古代ミノア文明(ミノス文明、クレタ文明ともいう)を象徴する存在だった。ミノア文明は紀元前3000年から前1100年頃にかけて、地中海地域に大きな影響を与えた。アテナイの英雄テセウスがミノタウロスを倒す物語は、クレタ島に代わってギリシャ本土が勢いを増していた時代と重なって見えるようだ。
ミノタウロスの物語
ミノタウロスの物語は、長年の間に何度も繰り返し語られるうちに、いくつものバリエーションが生まれた。その全てに共通しているのは、雄牛が様々な形で重要な役割を果たしているという点だ。最もよく知られているバージョンを簡単に紹介しよう。神々の王であるゼウスが、フェニキアの王女エウロペに恋をした。ゼウスは白い雄牛に姿を変えてエウロペに近づき、彼女を背中に乗せてクレタ島へ連れて行った。2人の間に生まれたミノスは、成長してクレタ島の王となる。
ミノスは、自分が正当な王であることを示す証しとして、雄牛を送ってほしいと海神ポセイドンに願った。そして、その牛を生け贄としてポセイドンへ捧げると誓った。これに同意したポセイドンは、立派な白い雄牛を波に乗せて送ったのだが、いざ生け贄を捧げるときになると、ミノスは雄牛の美しさに魅了され、生け贄にするのをやめてしまった。
これに怒ったポセイドンは、ミノスの妻であるパシパエに呪いをかけたので、パシパエは雄牛に性的な魅力を感じるようになる。パシパエはアテナイの発明家ダイダロスに頼み込んで、中が空洞になっている実物大の牛の像を作らせ、その中に入って思いを遂げた。その結果生まれたのが、半人半牛の赤ん坊だった。パシパエはその子をアステリオスと名付けたが、後にミノタウロスと呼ばれるようになる。ミノス王は、複雑に入り組んだ迷宮をダイダロスに設計させ、その奥深くにミノタウロスを閉じ込めた。