女性参政権を求めて闘った32人(PHOTO ILLUSTRATIONS BY JOHANNA GOODMAN)
この記事は、雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版 2020年8月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

米国の女性が参政権を手にして100年がたった。勇敢に闘った活動家たちの偉大な足跡を振り返る。

「私、とうとう押しかけて投票したわよ!」

 1872年11月5日、スーザン・B・アンソニーは友人に宛てて書いた。

 この日、アンソニーは3人の姉妹と一緒に、住んでいたニューヨーク州ロチェスターで一票を投じた。建国から100年近くがたち、南北戦争の終結からは7年、アフリカ系米国人男性に参政権を認めた憲法修正第15条の成立からは2年が過ぎていたが、当時、大半の米国人女性に参政権は認められていなかった。アンソニーは拒否されるのを承知で投票所へ行った。むしろ拒否されるのが狙いだった。それを理由に訴訟を起こすつもりだったからだ。

 押しの強い女性参政権活動家として地元で有名だったアンソニーは、我慢の限界に達していた。彼女は数日前、有権者登録が行われていた近所の理髪店へ行くと、若い役人を脅して、自分たちの名前を無理やり選挙人名簿に載せさせた。それが思いがけずうまくいったため、ほかの女性たちにも登録を呼びかけた。

 こうして、ロチェスターでは15人ほどの女性が投票した。「これから、ひと騒動あるでしょうね」と、活動家仲間のエリザベス・ケイディ・スタントンに宛てた手紙にアンソニーは書いた。投票できたことは想定外だったが、自分の挑戦的な態度が波紋を呼ぶことは覚悟していた。

 2週間後、待ちに待った機会が訪れた。自宅の玄関先に、礼儀正しい連邦政府の職員が、アンソニーを逮捕しに来たのだ。

 この時点までに、女性たちは参政権を求めて、すでに数十年にわたり運動を続けていた。社会における従属的な役割に疑問を抱き、婚姻関係における女性の権利の向上や、普通選挙権の獲得を求めてきたのだ。家庭や地域から踏み出し、まともな女性なら普通行かないような場所に顔を出し、さまざまな人が集まる前で演説するなど、上流社会の女性にあるまじき行動を繰り返していた。女性が入る余地のない政治的プロセスにも割って入り、市民として認められるべき選挙権を主張し続けた。そして、国中の政治家が無視できなくなるところまで、女性参政権の問題を大きくしたのだ。

 だが、女性の参政権が米国で認められるまでには、さらに50年近い長い道のりが待っていた。性別によって参政権を拒むことを禁じた憲法修正第19条がようやく成立したのは、1920年8月26日のことだ。これによって約2700万人の女性が選挙権を手にしたが、その勝利は完全なものではなかった。なぜなら州法も連邦法も、人頭税や読み書き試験などの条件を付けたり、公民権の取得に民族的背景による障壁を設けたりすることで、参政権を制限したからだ。そのため、多くの非白人女性には参政権が与えられないままだった。

 参政権を求めて活動した女性たちを、過去の存在として片付けるのは簡単だ。白黒の肖像写真の中で堅苦しくポーズを取る、しかめ面のスーザン・B・アンソニーや小うるさそうなエリザベス・ケイディ・スタントン、長いスカートをはき、古臭い幟を掲げて行進する女性たちのイメージには隔世の感がある。何しろ今では、米国で投票するのは男性よりも女性の方が多い。米国史上初の女性下院議長であるナンシー・ペロシは全米で最も影響力のある人物の一人だし、ヒラリー・クリントンは2016年の大統領選の一般投票で勝利した(選挙人獲得数でドナルド・トランプに敗れ、大統領の座を逃す)。

次ページ:ある女性の不満が運動へ発展

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