インドの聖なる川 消えゆく水

旅して見えた聖なる川の魅力と暮らしを脅かす危機

2020.07.30
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供物の花、ごみや排せつ物が浮くガンジス川で身を清める男性。この聖なる川は、地域の貧弱なインフラと膨大な人口を支えているが、汚染の深刻さは世界屈指だ。(PHOTOGRAPHS BY PHOTOGRAPHS BY JOHN STANMEYER)
この記事は、雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版 2020年8月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

人類の拡散ルートをたどる途中、3900キロに及ぶインドの旅で見えたものは聖なる川の謎めいた魅力と、人々の暮らしを脅かす危機だった。

「あんたらは魔術師か?」

 インド北西部ラージャスターン州にある灼熱のタール砂漠を歩いていると、村人に声をかけられた。荷物を載せたロバを引きながら徒歩でインドを横断する私たちは、真っ黒に日焼けし、砂ぼこりにまみれている。地元の人には旅の役者や山師、サーカスの団員に間違われ、揚げ句に魔術師かと問われた。だが答えはイエスだ。私たちには魔力がある。もちろん村人にも。

 私たちの中には、「水」という名の魔力が潜んでいる。人間の体に占める水の割合と、地球の表面に占める水の割合はほぼ同じ。人間は水の惑星に生まれ出た、水の生き物なのだ。水はどこにでもあるが、どこにもない。とらえどころがない不思議な物質で、気体、液体、固体と異なる状態を絶えず行き来している。

 水の分子は矢じりのような形をしているため、電荷の偏りが生じ、極性が存在している。それが脳細胞から高い山々、お茶から上る湯気、地球の表面を覆っている岩盤まで、あらゆる物質を分解したり、束ねたりする。私たちの目に見える今の世界は、そうやってでき上がっているのだ。

 それなのに、人間が飲める水はあまりにも少ない。地球上の水の約97%は海水で、2%が氷河や極地の氷。飲み水にできる液体の真水は1%にも満たないのだ。だが、それほど貴重な宝物を、私たちは愚かにも浪費している。

2017年に廃止になったパンジャブ州バティンダのグルナナクデブ火力発電所。43年間、大規模な灌漑(かんがい)に電力を供給したが、町には石炭灰が降り、住民の健康や生態系に影響が出た。(PHOTOGRAPHS BY PHOTOGRAPHS BY JOHN STANMEYER)

 7年前から私は、石器時代にアフリカを出発して世界へと拡散していったホモ・サピエンスの足跡をたどっている。これまで訪れた場所のなかでも、とりわけ深刻な水の問題を抱えているのがインドだった。

 人口が世界第2位の13億人を超えるインドには、インダス川、ガンジス川、ブラフマプトラ川といった象徴的な大河とその支流が流れている。しかし現在、水資源は危機的な状況にある。デリーなど21の巨大都市に暮らす約1億人の住民は、2020年中に地下水を飲み尽くしてしまうだろう。アジアの穀倉地帯と呼ばれる北部のパンジャブ州では、長年にわたる地下水の過剰なくみ上げがたたり、1世代で地下水面が最大30メートルも低下した。工場や都市、農地から流出した水による汚染は国土全体の水系に広がり、約6億人が清潔な水を十分に使えない生活を送っている。

 私はインド北部の沖積平野を1年半かけて踏破した。陸橋や鉄道橋を歩いて渡り、時にはひっくり返りそうなカヌーを操って川を進んだ。

 インドには川は何百本とあるが、ヒンドゥー教ではすべての川は神聖なものであり、神ですらある。この国の未来は、いくつもの川の濁った流れに託されているのだ。

「魔術ショーをやるのかい?」と、また村人に聞かれた。はだしの子どもたちが、笑いながらスキップをしてついて来る。砂漠にある彼らの井戸の水は、多量の鉄とフッ素で汚染されているという。そう、それこそが魔術。飲み水を消す壮大な魔術だ。

 ジャイプル郊外にあるサンバル塩湖では、大勢の女性たちが何時間も地面を熊手でかいて塩を集めていた。かげろうの中で、彼女たちの脚が現れては消える。この地獄のような光景も魔術によるものなのか。いや、私たちはただ、水のない世界にいるのだ。

ヒンドゥー教最高の聖地ワーラーナシーを流れるガンジス川で舟をこぐ筆者サロペック。信心深いヒンドゥー教徒は、毎年3万人の遺灰が流されるこの川の水を清らかだと信じて、口にする。(PHOTOGRAPHS BY PHOTOGRAPHS BY JOHN STANMEYER)

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