新型コロナウイルス感染症の流行が収まった後も、今回のパンデミックで得た教訓を忘れずにいられるだろうか?
3月初めの日曜日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界各地に急速に広がり始めていた頃、米沿岸警備隊の監視船が、米国カリフォルニア州の23キロ沖合に停泊するクルーズ船「グランド・プリンセス」を目指していた。
監視船に乗り込んだのは、災害派遣医療チーム。クルーズ船に乗る3500人を体調の悪い人と健康そうな人に分け、上陸準備を進めるためだ。チームには、57歳のマイケル・キャラハンもいた。彼は世界各地のホット・ゾーン(感染症の流行地)で何十年も経験を積んできた感染症の専門家だが、船酔いに苦しみながら、任務開始を待っていた。
日没の少し前、監視船はクルーズ船からつり下ろされた小型ボートに近づいた。医療チームのメンバーたちは船酔いに加え、防護服を着込んでいるせいで、音もよく聞こえず、視界も制限された状態で、一人ずつ小型ボートに飛び乗った。そこからクルーズ船の船腹に設置されたはしごに飛び移り、甲板を目指す。
人類は絶えずエピデミック(感染症の地域的な大流行)にたたられてきた。人類が地球全体に拡散すると、そこにパンデミック(世界的な大流行)が加わった。これまでの大流行は重要な教訓をもたらしたはずだが、現実には、人々は日ごろその教訓を忘れ、新たなパンデミックが起こるたびに思い出す。感染症はあっという間に広がること。しかも、自分にとって大切な人にうつしてしまいがちなこと。人々は感染への恐怖から互いに距離を置くようになり、孤独が耐えがたい苦痛をもたらすこと。そして、重症患者はしばしば誰にも看取られずに死を迎えなければならないこと。だがそうした事柄以上に、今のパンデミックに気づかされたことがある。いつの時代にも私たちは、キャラハンのように、命懸けで感染症と闘う少数の人々に支えられている点だ。
過去を振り返ると、彼らのような人の多くに共通するのは、既成概念にとらわれず、一見ささいな手がかりに目を向け、無視されがちな声に耳を傾けていることだ。彼らはまた、世界の片隅で起きていることは、自分の周りでも容易に起こりうると、認識してもいる。
第1章 1721年 米国ボストン:人痘接種からワクチンへ
「破壊の天使」が到来する—1721年初め、米国東部の港湾都市ボストンで、ピューリタン(清教徒)の牧師コットン・マザーがそう人々に警告した。街を全滅させるような恐ろしい疫病が近づいているというのだ。
この疫病はすでに英国で猛威を振るっていたし、米大陸の人々もその恐ろしさを経験済みだった。過去200年余り、予測不能な流行を繰り返し、入植者たちをパニックに陥れ、先住民の村々を丸ごと消し去ってきた。しかしボストンでは、前回の流行が起きてから19年がたち、その疫病を経験していない新たな世代が育っていた。
この疫病にかかると、まず皮膚に赤い発疹ができる。はしかだと思うかもしれないが、そのうち発疹はふくらみ、水疱になって盛り上がる。目や気道、体中におびただしい数の発疹ができて、呼吸をするにも大きな苦痛を伴うこともある。膿を含んだ膿疱はひどい悪臭を放つ。死を免れても、しばしば失明などの後遺症が残り、顔や体に痘痕、いわゆる「あばた」が残る。同年4月、「天然痘」と呼ばれるこの疫病はひっそりとボストン港から上陸した。
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