そそり立つ崖、深い峡谷、そして高地の砂漠─ユキヒョウは何千年にもわたって人を寄せつけないようなアジア中央部の過酷な土地に生きてきた。生息地の空気は薄く、雪は深く、気温は氷点下になる。そのため目撃例が少なく、幻の存在とされていた。だが、保護活動や自動撮影装置、観光ブームのおかげもあり、その姿が少しずつ見え始めた。
そのユキヒョウは村で有名だった。左耳に刻み目のある大きな老いた雄で、数年前から出没し、村人は注視していた。
ここ、インド北部のスピティ谷にあるキバー村では、老いたユキヒョウは特に警戒される。険しい岩山にすむウシ科のアイベックスやバーラルといった野生の獲物を狩るのが、年をとって難しくなると、ユキヒョウはヤギやヒツジ、ウマやヤクの子といった家畜を狙うようになるからだ。
2月の寒い日の午後、私は絶壁の縁にうずくまって、そのユキヒョウを双眼鏡で見ていた。老いた雄は峡谷を挟んだ崖の岩棚の上でまどろんでいる。粉雪が舞うとベールをかけたように視界が遮られ、双眼鏡を握る手元が少しでもずれると、くすんだ地色にダークグレーの斑紋がある毛皮は、岩肌の陰影に溶け込んで見えなくなってしまう。
「しまった、また見失った」とつぶやくと、写真家のプラセンジート・ヤダブがカメラから顔を上げ、指で示す。その先にユキヒョウはいた。
この雄は、言ってみればプラセンジートのユキヒョウだった。地元のガイドのなかには、実際そう呼ぶ人もいた。目撃情報が入ったとき、ガイドがプラセンジートに向かって左耳を指しながら、「君のだ」と言うのを聞いたことがある。
プラセンジートはこの2年間、標高の高いスピティ谷で自分の足とカメラトラップ(自動撮影装置)を駆使して、この雄を追いかけてきた。私たちはこれから数週間にわたり、峡谷を下ったり、雪深い峠を越えたり、凍った崖をよじ登ったりしながら、50キロ近い距離を歩いてユキヒョウを探す予定だった。だが、標高4200メートルのキバー村に到着したその日、高地にまだ慣れずにもうろうとする私の目の前に、その老いたユキヒョウは現れてくれたのだ。
大学時代に、米国のナチュラリストであるピーター・マシーセンが書いた『雪豹』を読んで以来、私はこの幻のような生き物を何とかして見てみたいと思うようになった。マシーセンが果たせなかった夢を果たしたいという思いもあったかもしれない。彼は1973年に、高名な生物学者のジョージ・シャラーとともに、2カ月にわたってネパールの山岳地帯を旅した。そしてさまざまな痕跡を目撃したものの、ユキヒョウそのものを見ることはできなかった。シャラーは当時、野生のユキヒョウを見たことのある、二人しかいない西洋人のうちの一人といわれていた。1970年に彼が撮った写真は、自然の生息地におけるユキヒョウを初めてとらえたものとされている。そしてその後20年以上にわたって、それがこの謎多き孤高の動物を野生下でとらえた、たった1枚の写真とされてきた。
だから、ユキヒョウをようやく目にできたそのときに、私の耳に入ってきた音が20台を超すカメラのけたたましいシャッター音だったというのは何とも皮肉な気がした。その短い時間だけで、数百枚もの写真が撮られていたのだ。この崖には、私たちのほかにも世界各地から来た観光客がいて、多くの人が高価な望遠レンズを付けたカメラを必死にのぞき込んでいた。
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